♪music by 夢幻のオルゴール工房♪

□■□春の章□■□

◆◇◆消えたハデュ◆◇◆
 ハデュが消えた…。

それは2月の終わり…寒さの中にも小さな春の微粒子が混じるようになったある日の事でした。

 2月の日暮れはまだ寒くて暗い。
 仕事帰りのリルは、寒がりのハデュが、いつも「寒いよ寒いよ!」とと駆け込んでくるのを思い浮かべながら『早く部屋を暖めておこう』と小走りに門を通り抜けました。
 早春の夕闇の中に、リルの家が今日に限って静かに黒く見えました。
部屋の明かりを点けると、暖炉の横の丸テーブルに置手紙がありました。

リルさん、どうしても行かなければいけない事ができました。
絶対に帰ってくるから心配しないでください。
遠くにいても、いつもリルさんの事を想っています。
リルさんが幸せでいてくれるように祈っています。
大好きなリルさんへ…ハデュより。

突然…いいえ、リルには少し前からわかっていたような気がします。


 『絶対に離れない』と誓い合ったあの日から、ハデュは前よりももっと じっと考え込むことが増えました。
 いつもなら怒ったり膨れたりしそうな場面でも、ふっと静かな目に戻ってしまうのです。
リルが拍子抜けしてしまうほどに。

 「リルさんの顔を描いてあげる」ハデュが何か思いついたように明るい顔で言ったのは、雪の降った日曜日でした。
 すっかり絵描き気取りで、リルを暖炉の前の椅子に座らせると ご機嫌でスケッチブックに向かう…それはいつものハデュでした。
 ただ、いつもの気まぐれな思いつきにしては真剣そのもので、何日もかかって最後まで描きあげたのも、今思うと不思議な事だったのです。
 描き始めて3日目、その日も威張った様子で
「さあ、リルさん!今日もそこにじっと座るんだよ」と嬉しそうに指図しました。
しばらくは、芸術家ぶって首をひねったり、色鉛筆を立ててリルを見たりして描いていましたが、突然
「ねえ、リルさん。…リルさんはもう結婚しないの?」
筆先から目を離さないまま尋ねたのです。 
「しないわよ」リルは即座に答えました。
「リルさんは結婚した方がいいよ。赤ちゃんを生んで優しいお母さんになると思うよ」
画用紙に目を落としたまま、ハデュが、さらりと言いました。
 その時、リルの胸に生じた形のない不安が、今日のハデュの失踪だったような気がするのです。
「ハデュが私の赤ちゃんみたいなものだもの。ハデュの他に赤ちゃんなんて欲しくないわよ」
ぼんやりとした不安を打ち消す為にも、リルは力を込めてそう答えたのでした。
画用紙からやっと目を上げたハデュは少し安心したように微笑みましたが、なんだか元気がありません。
その顔を見て、リルは椅子から立ち上がるとハデュの前に跪き両手を握りました。
「何を考えてるの?ハデュ。私と一緒に暮らすのが また嫌になったの?」
「そんなんじゃないけど…」
「じゃあ、何?」
「だって、リルさんは、いいお母さんになると思うもの…」
「だから…ハデュのお母さんでいいじゃない」
「…うん、そうだね」
気の無い返事をしながら、青い色鉛筆をケースに戻すと
「でもリルさんは結婚した方がいいよ」
リルの目を見て、もう一度同じ言葉を繰り返した時、ハデュの瞳には強い光が宿っていました。

 ハデュが急に大人になったような気がしました。

 あの時…そう、きっとあの時、ハデュは何か重大な決意をしたに違いありません。



◆◇◆ハデュの居ない春◆◇◆
 ハデュが消えてから数日が過ぎました。
 郵便局にも「故郷にしばらく帰ります。お世話になりました」と前の日に制服を返していた事がわかりました。
突然の気まぐれなんかでは無く、ハデュなりに考えた計画的な行動だったようです。

 ハデュが居ない家。
最初の数日こそ「もしかしたら帰ってるかもしれない」と淡い期待を抱いて帰宅した事もありました。
でも…ハデュが帰ってこない事を、リルは少しずつ自然に受け入れていったのです。
広くなってしまったような家の中に ひとりでポツンと居ると「リルさん!」と呼ぶ声が聞こえたような気がします。
振り向いても誰も居ない空間がそこには横たわるだけでした。

みーちゃんだけが 時々擦り寄って来て温もりを与えてくれます。
「みーちゃん…ハデュはどこへ行っちゃったんでしょうね…」ほお擦りしながら問いかけると
「にぁ〜」と小さな声で鳴くだけでした。
「ハデュとみーちゃんはお話できたものね…私には、みーちゃんの言葉はわからないわ」
それでも みーちゃんの小さな温もりは、ハデュの体温に似た愛しい香りがしました。

家の中のあちこちにハデュの残像がありました。
一番のお気に入りは暖炉の前、気持ちよさそうに寝そべって鼻歌を歌うハデュ…
「今日のご飯はなあに?」と キッチンの横から覗く嬉しそうな顔…
不貞腐れて寝た振りをしてたソファー…
家の中のどこを見ても、ハデュの姿がそこに重なるのです。
様々な表情をしたハデュが そこにも ここにも 居るのです。

…そう、かつて婚約者が出て行った時だって、こうして一人になったのです。
「また以前の一人暮らしに戻っただけよ…」
でも、あの時とは何かが違います。
不思議な事に、ハデュの心が今もそこにあるのを感じるのです。
どこかでリルを見つめている気がするのです。
そのせいでしょうか、かつて恋人を失った時のような喪失感で苦しむ事はありませんでした。
ハデュの事を思い出すたび、胸の奥が温かいもので満たされるのです。

 「でもハデュは一人で寂しくないの? あんなに寂しがりやで寒がりやなのに。
辛くないの? 私と逢えなくなるのは嫌だと泣いてたのに…今は平気なの?元気なの? 
どこに居るの? どうしても行かなければいけない用事って何? 
背中に羽のある人達の世界には何か特別な約束があるのかもしれない。
私にも言えない大きな約束を果たす為に、たった一人で旅に出たのかしら…」
愛しくて切なくて、ハデュを抱きしめてやりたい…そんな想いが溢れるばかりでした。

 ハデュのクローゼットの中は、そのままでした。
クリスマスに編んだセーターと写真を入れたロケットだけを持って出て行ったようです。
ハデュが居なくなるちょうど一週間前、ハデュが突然「写真を撮ろうよ」と言い出して、写真館で写真を撮りました。
ハデュのたっての願いで リルは花柄のワンピースに麦藁帽子をかぶり、ハデュは手編みのセーターを着て、季節感のちぐはぐな二人が並んだ写真でした。
その時、暖炉の上に飾る額入りのものの他に、ハデュは小さなサイズも注文したのです。
「ロケットに入れて首から下げてると、いつもここにリルさんが居るみたいでしょ」
 その時は気づかなかったけれど、ハデュは一人で旅立つ日の為に そんな準備までしていたのでした。

 ハデュが居なくなって3週間が過ぎました。
季節は そんな時も確実に変わっていくのです。
日差しが柔らかく春を告げるある日のことでした。
庭の隅にクロッカスが小さなつぼみをつけているのを見つけました。
「ハデュだわ!」
いつだったかハデュが庭にしゃがみこんで、何やら一生懸命 土を触っていた事がありました。
呼びかけると「リルさん、あそこの隅の土、絶対に掘っちゃ駄目だよ」と真剣な顔で言います。
リルは、死んだ虫を埋めて墓を作ってやったんだろうと思って
「掘らないわよ、そんなとこ。何を埋めたのよ」と笑って尋ねました。
「いいからいいから!」ハデュが楽しげに言って、そのまま忘れていたのです。
「…あの時、クロッカスの球根を植えていたのね」
悪戯をする子供のようなハデュの笑顔がまた浮かびました。

 その日から、庭のあちこちに 次々といろいろな植物が芽を出し、蕾をつけ、花を開かせるようになりました。
「こんなにたくさん、いつの間に植えていたんだろう…?
そうだった…去年の夏の頃『庭に花を植えればいいのに、もっと楽しくなるよ』と言ってたっけ…」

 私が寂しくないように、庭が花でいっぱいになるようにと 一人でこっそり種や球根を植えていたのね



***まだまだ続きます***
「恋のお話」TOPへ
「冬の章」へ戻る