柊鰯について、色々と述べましたが、実際のところ、はっきりしてないことが少しあります。

 その一つは鯔の子の頭が何時、何故、鰯の頭になったかという疑問です。
実は古事類苑を読みますと、改正月令博物筌という書物では"なよし"は鰯の古語であるとも、
鯔の子のことであるとも考えられ、はっきりしないと記されているとのことです。私もなよしを鰯
の古語と書いてある辞典を見たことがあります。
 さらに「古今要覧稿 時令」に「藤の為家卿の歌にひひらぎいはしをよみ合わせ給へるものに
よれば・・・・・」との記述があるので、藤原為家の活躍していた13世紀(鎌倉時代)にはすでに
いわしが用いられていたことになる。藤原為家は建久九年(1198)に生まれ建治元年(1275)に
没した歌人で藤原俊成の孫、定家の次男という名門の人。

二番目は関東地方では何故、豆柄が加わったかという問題です。
これも古事類苑によると、倭訓栞(1830年に記された)という書物に「信濃は雪国にて、ひひら
ぎなきをもて、いわしまめがらを用ひ、木曾のあたりはもみの葉を用ふ」と記されているそうです。

 おそらくこの信濃の国の習慣が関西の習慣とともに関東に入ってきて、関東では柊、鰯、豆柄の
3点セットになったのでしょう。

 なお、現代では節分近くなると、首都圏ではスーパーや八百屋でこの柊と豆柄のセットが売られ
ています。さらに鬼の面が加わった派手なのもあります。また、スーパーの魚売り場には節分用
と書いたパック入りの鰯がおいてあります。
 また橋本典子氏によると、大阪ではデパートの魚売り場で鰯とともに柊の枝を売っていたとのこと
です。


 この千年以上も続いてきた習慣は、今では誰もその効果など信じていないと思うのですが、依然
として行われているのは何故なんでしょうか。もっともこの頃では西洋風のリースをつけている家
もよく見かけますが。
 ヒイラギ鰯を付けてあるお宅で、何時ごろからつけているのですかと訊ねると、ご主人では駄目で
奥さんが答えてくれます。そして、母がやっていたのでと答えることが多いのです。要するにこの
習慣は女性によって受け継がれてきているようです。