竹内浩三と同期の旧制宇治山田中学校40期 小林茂三氏が自著「惜別」に著された文章である。
貴重な文をお寄せくださった小林氏に心から感謝します。
縦書きを横書きにするにあたって漢数字をアラビア数字に直したことをお断りする。

竹内浩三のこと

ボクがキミに手紙を書こうと思ったのは、平成6年11月19日付けの朝日新聞夕刊のコラム欄「きょう」に、キミのことが載ったからである。
 文は
「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるやあわれ」の竹内浩三は1943年11月19日、兵営から「姉ヨ」と手紙を書いた。「松ノ葉ガ散ッテイルノヲ、雪カト思ウホド寒イ日がヤッテキタ」。翌年元日から夏にかけ彼は暗緑色の小さな手帳2冊にびっしり日記をつけた。ちびた鉛筆と手帳は肌身につけて離さなかった。貴重な軍隊記録は「ワガ優シキ姉ニオクル」と前書きされている。45年比島に戦死。「遠い他国でひょんと死ぬるや/だまってだれもいないところで/ひょんと死ぬるや」(河)
というものであった。
 もう一つの理由は、この間、古い書類を整理していたら、ボクに宛てたキミの手紙が出てきたからである。日付は不明なのだが、中学校を卒業した直後と思われるものだ。キミが主宰していて、ボクも参加していた、自称文芸誌「北方の蜂」へのボクの投稿原稿について、「オマエの少女感覚の文章が好きだ。これからも続けようぜ」という内容のものであった。
 ボクは久しぶりに本棚から、竹内浩三全集1・2を引っ張り出した。この本は1984年に小林察氏の編集で新評論社から出されたものである。実はこの全集の前にも、キミと「伊勢文学」を出していた、同級の中井、野村、土屋、それに東大名誉教授の阪本らの尽力でキミに関する本が数冊出版されているのだ。
 ところでこの全集をめくっていたら、偶然色褪せた一枚の新聞の切り抜きが出てきた。見ると朝日新聞の「ひと」欄の切り抜きである。「郷里に実弟の名をつけた、竹内浩三文庫を贈った松島こう子さん」とキャプションのついたキミの姉さんの大きな写真と記事が印刷してあった。
「浩三がフィリッピンの山中に戦死して40年」という文字があるから、今から10年前の新聞ということになる。
 さて、キミが念願の日大の映画科に入り、学徒動員で学園を去るまでの、およそ2年半のキミの文章活動は、それこそ水を得た魚というべきか、満を持した豪快な仕掛花火のように一気に花咲いた感がある。詩・小説・シナリオ・随筆、どれをとっても驚くべきものであった。もうボクは、その才能は天賦のものだと信じている。ま、それは今は措いておくとしよう。ボクは、キミが昭和19年1月1日から7月27日まで、1日の欠落もなく、うす汚れた手帳にちびた鉛筆で書きつけた「筑波日記」に感動する。エリート候補としての学徒兵の手記は他にもあるが、生涯最下級の一兵卒として、理不尽に抑えられ続けた学徒兵のそれは稀有のものである。それは自ら進んで一兵に甘んじて過ごしたボクの軍隊経験と大きな部分で一致するものである。
 他にも書きたいことは山ほどあるが、キミへの手紙はこれで終わりにする。


 十日間以上も、私は竹内浩三全集を机の上に置いて、彼を理解する上でのキーワードを探しつづけた。そして、遂に探し当てた。キーワードは「未来人」である。
 未来人なるが故に、彼は最も兵隊に似つかわしくない人間であった。故に彼は軍隊において迫害を受けつづけなければならなかった。そういえば彼の頭部は標準よりかなり大きめであった。脳が発達していた証左である。数学が得意で特に幾何は天才的であったが、何よりも発想・表現・価値判断の尺度が現代人離れしていた。例えば、軍事教練で「気を付け!」をしている時、突然「ウァッハッハッ!」と笑ってしまうのである。未来人の彼には「不動の姿勢」は現代人の、醜い偽善の姿と思えたのであろう。当然、配属将校や生徒監の教員からは不謹慎な生徒であるというレッテルをはられてしまった。

そんな彼が兵隊にされた。彼は動作緩慢で、てきぱきと要領よく行動することができないから、軍隊では進級と無縁であった。
 一年ほどたってから彼は郷土の連隊から筑波の挺進滑空部隊に転属になった。この部隊は「バスのようなグライダー」に乗り、敵の上空まで爆撃機に曳航された後、切り離されて敵中に着陸し敵の重要拠点を制圧するという、今から考えれば荒唐無稽な漫画を連想させるような任務をもつものであった。
 そこで彼は重機関銃分隊に配属され、30キロもある重い銃身や弾薬箱を担ぎ、「オキタノガ二時、コンナ寒サハハジメテノ経験デアル。土ニ顔ヲアテテ、ヒウヒウ泣イテイタ」「しぼるような汗になり、くたくたになり。水を一升ものみ」「朝モ、ヒルモ、夜モ演習。キカン銃ノ銃身ヲ背オッテ坂ヲ行クトキ、十字架ヲ負ッタキリストヲ考エタ」「朝五時ニオキルト、銃剣術デ、メシガスムト銃剣術デ、ヒルカラモ銃剣術デ、ソレデオワリカト思ッタラ、月光デ又、銃剣術」という「内蔵がとびちるほどの息づかい」の猛訓練に明け暮れする。
そして「ナベの中に入れられて、下から火を入れて、上から重いフタをされたかたち」の中で毎日を生活する。外出日には町に出て芋を食い、カルピスを飲み、レコードのクラシック音楽に聴きほれ、本を買って来る。帰れば便所の中で手帳に「骨のうたう」に代表されるような、愛や平和についての詩やエッセイを書いた。
 やはり竹内浩三は未来人であったのだ。