【手紙】
1940・9・21  姉宛  高円寺

   つまらん日記
 また土屋に十円かりた。それですこしいい気になってすしを喰った。
 九月二十一日土曜日。キモノを着て学校へ行ってみようと考えて、朝学校に行きがけに質屋によって、はかまを出し、そこでそれをはいて。とてもみじかい。
 パスも買ってないので、キップを買わねばならぬ。いつも江古田の駅の売店で、その日の最初のバットを買うことになっている。駅から学校までは、バットを一本すうだけの距離である。校門の前のドブにすいがらをジュッと投げこむことになっている。
 出席簿の自分の名前のところにマルを自分で書くしかけになっている。一学期は、なんねこんなものと考えて、マルをつけたりつけなかったりして、ひどいめに会ったので、つけることにきめている。
 土曜日だから、ひるまで。日本劇場へ「祖国に告ぐ」を見に行こうか。と山室に言う。金がないと言う。今日はオレが持っとる。
 いつものところで昼飯を喰う。金二十三銭の定食である。シャケとオミオツケである。
 金があると、悪いくせで古本屋にほることになっている。カネツネキヨスケ博士の『音楽と生活』を見つける。この人のものは読みたく思っていたので、さっそく買う。それに、古い映画評論を一冊。
 二人で省線にのり、有楽町でおりる。やっぱりギンザはいい。みじかいはかまをはいたボクが、われこそはと言ったように、昂然と肩をそびやかしてあるいている。オヤジの若い時にとった写真に、はかまをはいた長髪の青年で、洋書を二,三冊こわきにもち、昂然と写していたのを思い出し、オレも一つあのオヤジと同じポーズで写して見ようかと考えた。
 日劇にはいる。ヒビヤからシンジュクまでバスにのり、シンジュクは素通りして、コーエンジにかえってくる。
 ひょっとしたら、家から金がきていないかと考えて、部屋に入り、いつもさみしくなる。
 しばらく本を読んでいて、町に出る。ウゾームゾーにまじって町をあるく、オレはウゾーかムゾーかな。光延堂にちょっと寄ってみると、竹内さん、日本文学全集と世界文学全集がきていますと言う。ああ、そうですかと、すこし困った。今、金がないから日本の方だけにして下さい。世界はアトからもらいにきます。
 そして、またあるく。さぼてんというキッサ店に入ったが、今買った本が早く読みたくて、すぐにその店を出た。
 帰ってみて、ふところをしらべてみたら、アワレ、昨夜の金はもはや一円二十五銭!すべて、こんなちょうし。あしたから二日休みがつづくのに、どこへも行かず、おとなしく本を読んでいるより、しかたあるまい。

金がきたら


金がきたら
ゲタを買おう
そう人のゲタばかり かりてはいられまい

金がきたら
花ビンを買おう
部屋のソウジもして 気持ちよくしよう

金がきたら
ヤカンを買おう
いくらお茶があっても 水茶はこまる

金がきたら
パスを買おう
すこし高いが 買わぬわけにもいくまい

金がきたら
レコード入れを買おう
いつ踏んで わってしまうかわからない

金がきたら
金がきたら
ボクは借金をはらわねばならない
すると 又 なにもかもなくなる
そしたら又借金をしよう
そして 本や 映画や うどんや スシや バットに使おう
金は天下のまわりもんじゃ
本がふえたから もう一つ本箱を買おうか


手紙−−寄付金(一口五十円というあれ)は少し出しておいた方がいいようですから、省三さんにそう言っておいて下さい。例のように学校へ直送の方が善策かと存じます。

「日本が見えない」藤原書店発行 小林察編より