【手紙】
  日付不明  高円寺より 姉あて

 金使いのだらしないと云われるのは重々もっともなことで、自分でも、これには少々こまっているのです。そして今、もうキウキウで、又もやカネオクレを打とうかと思っていたところでした。そこへあの手紙なので、その電報も打てず、さぁこまったと云うわけです。一体何にそんなに金を使ったのだろうかと考えて見ても、そう急には思い出せそうにもないテッテイしただらしなさ。でも、思い出しても書くのが具合の悪いような金使いをしたおぼえもなく、ともかく公明正大に金を使ってきたつもりで、不良学生などとよばれるのは心外にたえないことです。
 金が要ることは要ったのです。いちいち説明する必要はないと思いますが、教科書代とか部費とか、化粧品代(これは学校の実習につかうもので、シャレるためのものではありません。ドーランだとか、パウダ、アイシャド、ほほべに、そしてそれを使用する化粧具)、教練服、ゲートル(ものが悪いくせにばかに高い)、演習費(富士山麓で五日やりました。おかげで顔が黒くなって強そうです)これがまぁ学校用に要った金で。タバコ(これが案外よく吸う。叱られるかもわかりませんが一日三、四箱。月にするとばっとで九〜十二円になる)、コオヒイ(これもなまいきなくせで、一日に一、二杯はのむ)。それにチクオンキで電気代を余計とられ(大した金ガクではないが)、内(於大河内)外(ヒルメシ代)に食費はあがるし。大酒をのんだことが三度ばかりあるし。演習にもって行った小遣い五円はみんなつかい、借金を一円したと云うテイタラクだし。書くのがメンドウですし、読む方もメンドウのことと思いますが、とにかく書くだけ書かないと気がすまないような気がするので、くどいようですが、もっと書きます。
 交通費。通学用に月六円をはじめ、ちょいちょい出あるくと思わぬほどかかるらしい。たとえば、市川の井上先生の家へ行き、かえりにギンザでお茶でも飲んで一寸ぜいたくなヒルメシを食い、新刊書でも一冊買って帰ると云うある日曜日の日課を実行すると、五円ほどの金がかかる。市川−新宿間カタミチ四十銭。
 そして、カンジンな映画とこれに付ズイする足代。平均一日に一カイは見る。一カイ見るために、平均六十銭の金が要る(足代をも含む)。たとえば、有楽座で一週間、これから先二度と見られないであろうところの古い名画を日がわりで八十銭もとって見せる。すると、一日とても見ずにはいられなくて、一週間全部見ると七円の金がとぶ。それに映画料も高くなり、二十銭で見せる小屋は三つくらいしかない。
 本を買い、レコードを買い(と云っても、こちらへ来てからまだ四枚しか買わないが)、山田のサイクルと東京のサイクルがちがっていたために、モーターのまわり方が辺で、それをなおすのに少々金をとられ。もっとこまかいことをのべれば、クツなおし、センタク屋、フロ屋、シンブン屋、ウドン屋(夜中に腹がへると、夜食と称して毎日のようにやらかす)、スシ屋、文房具屋(紙のネがほぼ倍になりました)。
 現状を申しますと、借金が三十円。手もとにある金、三円四十三銭。人に貸した金が十一円。それに、光下、大河内のはらいが六月分はまだです。トケイのガラスを演習で割らかしてそのままになっているし、五日には二円も出して新協の音楽会を聞きに行き、築地へ「どん底」の芝居を見に行くヤクソクになっているし、新日本文学全集(一・五円)と新世界文学全集あ8一・八円)の六月刊が出るし、それに芸術全集と云う本も買いたく思っているし、ドイツ語の字引をもうそろそろ買っておきなされ、と先生が云うし。と云うテイタラクでこまったことなのです。


「日本が見えない」藤原書店発行 小林察編より