【手紙】
  1941・11・13
          姉宛 板橋

 しまったと思った。椎名町で、そう云っていた。いやまったく、しもた。悪いことはできんですな。こんどからは、椎名町の証明入りで金のさいそくをせにゃ信用すまい。でも云いわけがましいようですが、さいそくの手紙をだすときは行く気だった。急に勤労奉仕となった。でもあとからのハガキで「行ってきた」と書いたのはマズかったですな。

 あの手紙を見て、誰も見ていないのに、舌をだしてあたまをかいた。でれくさいですな。
 
 なんがウアハハ……だ。かってにお笑いなされ。

 こっちだって、笑ってやることがあるぞ。あんたのムコさんは、ハナの下になんやらかざりをつけたそうですな。ちゃんと知っとるぞ。面白いわい。

 「家の職業としては感心しませんが」と。

 これは、だれだって一応問題にするはずです。そのことについて、かの女は音楽に関する文の中で、「うちの商売がああ云う風でしたので、私にはどちらかと云えば、やっぱり日本音楽の方がきいていてぴったりくるように思います」とあっさり云っている。

 こちらで、そのことを、さも重大事のように考えていたところ、なんの苦もなく云われたので、ひょうしぬけがした。なんとも思ってないらしいですな。

 ご注文どおり一つ手紙を送ります。この手紙は説明しなければわからないフシが多々あります。でもそんな説明はぬきにします。かの女の性格が一番よくでてると思ったからこれをえらびました。以上。


「日本が見えない」藤原書店 小林察編