【手紙】
1941・11・4  姉宛  板橋

 秋の夜長に火をおこして、足をあぶりながら、小説本をスタンドの灯にかざしてのんびり読んでいて、「キンシ」というタバコをふかしたり、熱いお茶をすすったりすると、偉い人なんかになりたくない気がし、いいヨメさんでももらって、学校の先生にでもなって、ときどき音楽を聞いたり、活動を見たり、旅行をしたりして、静かに死んで行きたいような気がします。
 人と争ってみたり、虚勢をはってみたり、ウソをついてみたり(それでも、心の中で半泣きになって)、偉い人に偉い人にとアクセクするのは、つらいことだと考えたりします。のんびりアグラをかいていたい、と考えたりします。ある女の子にそのことを言ったら、アグラをかききれる人間になれたらいいが、むつかしいでしょうと言いました。まったく、むつかしい。不可能に近い。若いもんだから、やっぱり偉くなりたい気は捨てられない。だから、心は平和でない。こんなやっかいな気持ちを捨てきれる人間になって、本当にのんびりしたいものです。(10.28)

 山はおもしろうございました。四万という温泉へ行きました。無事かえってきました。(11.4)


「日本が見えない」藤原書店発行 小林察編より