【手紙】
 1942・7・3
      姉宛  板橋

 又も警戒管制で、町がくらく、風呂のかえりに、星がよく見えた。見ていたら、涙がどっと流れ出て、いくらたっても止まらなんだ。一月以上こらえにこらえていたやつが、星を見た拍子に、どういうものか、こらえきれなくなって、だだ漏りをはじめた。

 感情に負けまいとして、がむしゃらにいろんなことをした。しているすきま、すきまにそこ知れぬ悲しみがときどきあらわれ、そのたびに歯を食いしばって、こらえた。夕方になると、いちばんつらくて、いたたまれなくなり、何度も友だちの家へ逃げこんだ。初めの十日ほどは、友だちの家へ寝泊まりしたりした。

 人一倍弱虫が、人一倍悲しいめをして、がまんをしていたのだから、よほどの努力を要した。

 もう我慢がならず、今もなお、滝ッ瀬のごとく、涙が流れる。おえつ(原文傍点)がこみあげ、鼻汁がじゅうじゅう出てくる。たたみの上を転げまわり、声をのんで泣きつづける。哭きつづける。何度も死ぬることも考えたけれども、意地か誇りか何か知らんが、そんなものが邪魔して死ぬこともできんだ。死ぬることすら、許されんだ。東が白むころまで、ふとんの上で悶えたことも、一夜や二夜でなかった。

 姉やんは、むろんそんなバカげたことは、一日も早くあきらめて、勉強に精を出し、一人前になっておくれとの希望にちがいない。

 でも、ひたすら愛しつづけた。ニッポンよりも、自分よりも、芸術よりも、その方を愛しておった。

 実用的なことしか頭を働かすことを好まない姉やんに、わかるかどうか。

 気ちがいになりそうである。意地だとか、誇りだとか、名誉にどれだけ人間としての値打ちがあるのだ。

 どこに人間の値打ちがあるのだろう。それでも、我慢をせんならんのか。なんのための我慢ぞや。いみじくも、鈍走せん。かぎりなき鈍走あるのみ。

 みじか夜を、涙流し、バカメとみずからののしり、ののしり、かいなくたたん、寝ころび、空嗤いをこころみ、痴けのごと、くるめき、爪かみ、おなごの名を呼びつつ、外に走り出て、星を見て、石をぶち、石をぶち、童のごとく、地に伏し、湿りたる草むしり、哭き叫び、一人芝居のごと、ミエを切り、くぬぎの木をかじり、甘えたし、甘えたし、甘えるもの何もなく、すべて、ことのほか冷たく、濡れて帰り、蚊帳をかぶって、寝たふりなどせん。