【手紙】
1942.2.8  姉宛 板橋

 姉よ
 野村君が、ひさしぶりで、ぼくをたずねてきて、ぼくに会った第一印象を、次のごとくかたりました。「そのとき、お前には光がなくなってしまっていた。威厳がなかった。そのようにおれの目にうつった」と。
 姉よ
 ぼくは、野村君が申したように、ヒカリもイゲンもなくなってしまいました。ある一つの区切りへきて、ぼくの芸術は、はたと止まってしまいました。こういうものの言い方は、あるいは、あなたには、ナマイキなキザなといった風に聞こえるかもしれません。でも、そんな言葉は、キザでもなんでもない感じで口にすることができるようになったのです。その区切りから先へ、どうしても進めません。今までだって、いくども、この区切りのところへのぞきにはきました。そして、少し悶えて、又楽なもとのカラの中へひきかえして、区切りのことは忘れてしまって、しばらくすごし、又のぞきにくるといったふうなことをくりかえしていたのでありました。でも、この区切りは、どうしても、越えねばならないのであります。もし越えなければ、いつまでたっても竹内芸術(野村君はこんなふうに言います)は、感情の羅列に終わってしまうのであります。いつまでたっても浅いところにしかいることができないのであります。しかし、その調子で、つまり、その区切りを越えることなしに進んで行ったとしても、或いは、別の芸術の世界へ進むことができるかもわかりません。感情の羅列であっても、いい芸術はあるわけです。たとえば、次の詩のごとく、
  
冬に死す
蛾が
静かに障子の桟からおちたよ
死んだんだね


なにもしなかったぼくは
こうして
なにもせずに
死んでゆくよ
ひとりで
生殖もしなかったの
寒くってね
なんにもしたくなかったの
死んでゆくよ
ひとりで


なんにもしなかったから
ひとは すぐにぼくのことを
忘れてしまうだろう
いいの ぼくは
死んでゆくよ
ひとりで


こごえた蛾みたいに

 ところで、姉よ。
 ぼくは、二十四日の晩に山田へ帰ります。試験は三月の四日からです。それまで、山田にいます。三月の中旬から、ぼくは、リュウキュウ、チョウセンまわりの小さい貨物船に便乗させてもらって、一航海することにしました。食費だけで、船賃は要らぬそうです。一寸した冒険であります。いい詩がいくつも詠めるような気がします。
   上野駅にて
 雪国から友だちが帰ってくるので、ぼくは上野駅にむかえに行った。東京中で、一番「駅」の感じのするのは、上野駅である。甘いノスタルジイが、まぬけた表面で、ふわふわ天井の高い構内をただよっている。雪のために、列車は、二十分延着した。背の高い友だちは、赭らんだ顔を昂然と伸ばして出てきた。
 あちらは、三日二晩ふぶいていた、と言った。「おふくろは?」「まだ死なぬが、時間のもんだいだそうな」と、これまた昂然と言った。「今ごろ死んでいるかもしれぬ」
 しばらく、二人はだまっていた。「東京はあたたかい」と、ふいに友だちが言ったので、その顔を見たら、あな、その眼に赤いシグナルがぐちょぐちょに滲み、とび散っていた。


「日本が見えない」藤原書店発行 小林察編より