【手紙】
    1942.6.1  姉宛 板橋
 蛾が部屋に集まってきて、器物につきあたって、鱗粉をまきちらす。
 生きている理屈が、ますます不明瞭になってくる。弱い神経。
 虚無への逃避をくわだてている。なんにもないと思っていたら、無があった。
 常識に安住してもいたい。あまく、たのしく、風もない。よろこびもないが、かなしみもない。調節された本能が快哉をさげぶ。
 理性とは、勇気のないことを意味する。
   うみゆかば みづくかばね やまゆかば くさむすかばね おほきみの へにこそしなめ かへりみはせじ
 さっきまで、よこにいて、げらげら笑っていた戦友が、どうだ、爆弾が、ボンと炸裂したかと、おもったら、腰から上がなくなって、ズボンの上に、ベロベロと腸がくねりだして、死んでしまった。
 サンチメンタリズムの、みじんもゆるされないところだ。
 すごい現実だ。この現実をも、ぼくたちはあえて肯定する。「アルモノハ、正シイ」と。
 どこに、自分を置くのか、わからん。
 おんなに、たいして、しびれるようなみれんを、おぼえるけれど、それは、それだけのことである。おんなが、畳にふせて、慟哭して言うには、「おたいを、みかえすような、えらい人になってえな」ぼくは、きりきりと歯をならして、えらい人などになるまいと考えた。
 おとこの面子は、エレベエタアのように上がったり下がったりする仕組になっている。あげるばかりでは、用途に反する。
 徹夜つづきで、あたまがぼけた。自分にたいするサヂズム。おシャカさんもした悟りとは、肉体のおとろえを言う。理屈や本ではさとれない。粗食難行のあげくさとる。死人に慾はない。死人が女にだきついたハナシはワイ談でなく、クワイ(怪)談である。



「日本が見えない」藤原書店発行 小林察編より