DANCE WEEKS 2002
“踊り放題ランド”

チラシ掲載文です。

コチラで高橋正和氏自筆のチラシが見られます。
※ごめんなさい、けっこう重めです。


最後になぜDance??? とうとうコンカリーニョが土に還っていきます。
この7年間、数々の表現と出会い、それぞれにみな違うおもしろさがあり、この事は、一人一人がそれぞれ別な生き物だからこそ同じ表現はありえない。だからこそ好き・嫌いの差はあれどあまりにも多様化している現代社会において、互いを認めあう事が一番必要なこの世の中で「全ての人は表現者なんだ。」この事を万人がわかる事、それこそが自由と平和への道なんだろうなどと考えるようになりました。表現する事は実に単純な個々の衝動です。誰でも持っている欲求です。赤ん坊も死にゆく老人も誰でも命ある限りやっている事です。方法も違えば、その強さも違います。わがままと言われたり自分勝手と後ろ指をさされたり、時にはほめられたりいろいろです。僕は舞台で表現されるものや、その他いわゆる作品と呼ばれるもの全ては普断の生活の中で自分が意識的に・無意識的に主張していることの延長線上に存在するものだと思っています。表への出方が違うだけです。その中で生身を観客の前に晒す舞台というものは、他者に自らの裸体を見せているような最もシンプルなやり方なんだと思います。どんなに演出されていても隠し切れる事はありません。見えてくるのはその表現者の生きざまです。そして、数ある舞台表現の中で最も純粋な表現がDanceなのかもしれない……と僕はこの7年間で思うようになりました。なぜ??身体は不自由なものです。言葉も不自由です。何か別な物を使ったり、音を使ったりする事etc不自由な物だらけです。真に自由になりえる可能性がある唯一のもの、それは多分「心」なんだと思います。その「心」の動きをどんな方法を使って表現するのか。数々の不自由なものの中で身体の動きで表現する事・・Dance・・が一番ごまかせない!そんな風に思うのです。観客にとっては他のどの表現よりもわけのわからないものに見えてしまいがちです。具体的に意味を持つものを利用しないから一番わかりにくい…つまらない…シンプルだからこそ伝える事が難しい、そういう事なんだと思います。観客のみなさんはどんな表現を見る場合でも、まず自己にフィードバックする作業を無意識下で行っています。そして「おもしろい」とか「おもしろくない」、「わからない」「なんだかわからないけどおもしろい」、なぜそう思うのかという理由を不自由な言葉で組立てようとします。言葉は大切です。しかし真理は決して語りきれません。こんな文章を書いていてもあまりの不自由さでだんだんイライラしてきます。とどのつまりは、誰でもできるこの「Dance」
「Dance」は一番言いわけができない!つまらないときは最悪です。だから一番おもしろくなる可能性がある。
そんな風に思うのです。しかしラストプログラムがDanceですか…コンカリらしいというか何というか…本当にこれでいいのか?という所からまた未来ははじまります。

P.S 今回出演下さいます札幌・音更・東京・京都のダンサーのみなさま、今回のプログラムの参加、本当にありがとうございます。こんなにいっぱい!!嬉しいです。そしてこのチラシをここまで読んでいただいているみなさま、本当にご苦労様でした?!是非、ご来場下さい。そしてこの場所での記憶を忘れる事なく、良くも悪くも「こんな場所があったんだ…」話をしていただければ幸いです。この宇宙に無駄なことなど何もなく、一つ一つの事は全て終わり、その瞬間に次がはじまっています。あらゆる出来事を認めて、ふまえて進んでいきます。なんの為に?と問いつづけながら、決してわからない答えをさがしながら・・生きている事だけが全てです。 感謝。

 と言うわけでDanceをみよう!自分も楽しみです。
☆すてきなチラシDesign by中川郁代 いつもありがとう。☆飛び入り参加もあるかも…

Concarino 高橋正和


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最終更新日 2002.7.17