| 水神祭雑記 | |||
| (すいじんさいざっき) | 福 原 伸 行 | ||
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江戸時代から現代、未来の「魚河岸の祭り・水神祭」について書いています。 東京・築地魚河岸(正式名称は東京中央卸売市場築地市場)の敷地内、北の一角に「魚河岸水神社」の小さなお社があります。ここは遥拝所といって、北の方角へおまいりすることで、遥かその方向にある神田明神境内の水神社本殿を拝めるようになっています。 『水神祭』は魚河岸水神社(魚河岸の人々は「すいじんさま」と呼び、守護神として大切にしています)のお祭りで、独特の歴史と形態を持っています。 日本橋魚河岸時代を語れる長老から伺った話や、同好の友人たちからの情報がほとんどで、少しだけ自分で歩いて見聞したことも含まれています。きちっとした手法で研究している方々からはお叱りをうけそうですが、水神祭にかかわるひとりとして、このお祭りのことを少しでも知って頂きたいと発信を続けています。 築地『魚河岸会』は、築地市場で「魚河岸水神社の護持と、江戸期以来の魚河岸文化の継承」を担って活動している団体です。築地市場(昭和10年開業)での過去3回の「水神祭」執行にあたっては、出御の機会が少ない故に「まぼろしの神輿」とさえ呼ばれる水神大神輿・中神輿と、歴史の重さを抱えた加茂能人形山車とを巡行させて広く皆さんの喝采を浴びました。 何としても、約90年の間にわずか3回しかやっていないお祭りです。祭礼執行のなにかにを継承するのは容易ではないのです。 今、築地魚河岸は老朽化による建替えまたは新市場への移転をめぐって揺れています。水神社遥拝所も傷みが激しく改修か新社殿の造営を考えなくてはならなくなっています。いずれにしても相当な資金を準備しなければならず、景気回復の兆しが未だ魚河岸には見えて来ないことから、魚河岸会幹部は苦慮しているところです。 前回の水神祭からもう20年が過ぎようとしています。が、「おまつり」をやろうという機運はまったくありません。 |
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| ページご案内 | 概 要 | ||
| 激動の幕末期を経て「東京」の時代へ。人々の暮らし、社会の仕組みの変化は? | |||
| 江戸時代初期から日本橋に根付いて発展した魚河岸、天下祭にはどう関わっていたのでしょうか。 | |||
| 魚河岸独自のお祭り「水神祭」の記録を探ります。 | |||
| 東京に残る唯一のフルサイズ江戸型山車、「加茂」と呼ばれて知る人ぞ知る山車です。更に多くの皆さんに知ってほしい。私の願いです。 | |||
| 大正11年まで日本橋魚河岸で曳かれていた山車が、茨城県石岡市で活躍していました。 | |||
| 「古き良き時代」の、魚河岸の伊達男と人形師 原 舟月、小さな山車人形に纏わるロマンいっぱいの物語です。 | |||
| 天下祭・山王の九番で曳かれた「静御前」の山車、その実物が栃木市で元気に活躍しています。 | |||
| 平成2年に執行された「水神祭」、@は準備期間の苦労話です。 | |||
| 「加茂」を曳いた黒牛・とき姫号。出会いから晴れ舞台登場までの一部始終です。 | |||
| 「台風20号が東京地方直撃」との予報の中、プログラムは予定通りに進められました。大雨の神輿渡御はスチームに包まれて。 | |||
| 台風一過の抜けるような青空のもと、「加茂」と水神大神輿、並んでの道中が見ものでした。 | |||
| 大正9年、空前の規模で行われた水神祭では「加茂」「弁財天」ともに三輪で曳かれました。 | |||
| 水神大神輿の屋根(軒下)に不思議なモノが付いています。 | |||
| 2005年11月、日比谷・丸の内一帯が凄いことになっていました。 | |||
| 魚河岸の北東側に波除稲荷神社があります。『波除さま』と魚河岸の関係について。 | |||
| 初夏の心地よい風が似合うお祭りです。 | |||
| 「加茂」が『いつか天下祭へ』と頑張っています。エールを下さい。 | |||
| お祭りを離れて「ゆれゆれなるままに」思いつくことを書いています。 | |||
| 2003.3.2 公開 | 最終更新日 2009.4.22 | ||
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