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   メッセージ
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 僕は走った。心臓の鼓動を、足音が追いかけた。
 はぁ……はぁ……はぁ。息が苦しいのは、走っているせいだけだったろうか。ようやくたどり着くと、自動ドアが開くのももどかしく、足がもつれるようにその中へ転がり込んだ。
 湿った空気の暗い廊下をさらに走っていく。その奥に『手術中』のランプが、僕の胸を打つように、灯っていた。
「サトル、来たか……」
 叔父の声が遠くに聞こえた。みんながいっせいにこっちを注目したのは、僕の整った顔立ちのせいではないことは分かっている。こんな事態だ。本当なら僕が真っ先に来てもいいはずだったのだ。親族一同の中で一番遅れてきた僕は、それでも、紺のブレザーにえんじ色のネクタイという学生服姿だった。
 声は出なかった。まず第一に聞くべき、親父の様態すら、僕は確かめることが怖かったのだ。
 兄貴は大学からすぐに駆けつけたようで、首の辺りの伸びきった黄色いTシャツに、くたびれたジーンズ姿で手術室の扉に一番近いところに立っていた。僕を見ると、「おっ!」というような口元を見せ、めがねの奥の小さな目を、ほんの少し大きくした。
 兄貴は、周りからうらやましがられるほどに自分では気に入っていない僕の大きな目とはまったく正反対で、小さな目を隠すために、対して目も悪くないくせに、めがねをかけている。正反対なのは、目だけではない。僕が何かにつけて、さらっとこなし、成績もいいのに対し、兄貴は一生懸命なんでもやるのだが、結局は派手に失敗する。大学も高望みして国立の歯学部を受け、一浪して、滑り止めの私立の無名校に入った。
 そんな僕と兄貴は小さいころからことあるごとに比べられてきた。兄貴は兄貴で辛かっただろうが、僕は僕で、期待にこたえなければとプレッシャーに襲われている。今、こうして親父の危篤に、病院に駆けつけるのが遅れたのも、高校の授業を最後まで受けていたからだ。
 僕の通っている高校は、県内一の進学校で、僕はそこの学校に通うために、叔父の家に下宿している。授業はそれほど熱心に聞いていなくても、そこそこついていける。僕は小学校のころからずっとそうだった。適度に手を抜いて、それでもトップクラスの成績を取れる。しかし、三年にもなると、内申点が気になってくる。欠席、早退は少ないに越したことはない。それに、事実、一回授業を欠席しただけで厳しい点をつけると宣言する先生もいるのだ。医学部を推薦で目指す僕のことを気にして、叔父は学校が終わってからでいいと言ってくれたのだ。
 さすがに僕も気が引けて、キャプテンを務めるバスケットボール部の練習だけは休んでいた。
「おい、ちょっと……」
 兄貴が僕に声をかけて促した。正直、兄貴の顔を見るのは、僕には苦痛だ。それは、兄貴の顔を見るたびに、昔のことを思い出さずにはいられないからだ。兄貴の額のところに、大きなやけどの跡がある。それは僕がつけたものだ。正確に言えば、それは僕が六歳の時だ。兄貴はまだ誕生日が来ていなかったから八歳だったはずだ。僕と兄はケンカをして、僕が兄貴を思いっきり突き飛ばしたのだ。兄貴は古いストーブに頭をぶつけやけどの跡が出来た。それ以来、僕は兄貴に頭が上がらない。
 そんなことがあって、実家を出てからは兄貴を避けていたから、兄貴と会うのも、夏休み以来だ。と言うことは、僕が最後に親父の姿を見たのも、三ヵ月以上前、ということになる。そのとき、親父は物静かながらも、ぴんぴんしていて、こんなことになるなんて思いもしなかった。
 僕は兄貴に促されるまま、病院の玄関ホールまで着いていった。
 兄貴の表情は、何か鬼気迫るものがあった。何でこんなところまで、と思ったが、やはり言葉は出てこなかった。
「よし、相撲をとろう」
 兄貴はひょろひょろとした、その体で構えた。
「ほら、来い」
 兄貴は真剣だった。僕は嫌だとは言えなかった。兄貴も辛いのだ。体を動かしている方が気は楽だろう。それは僕だって同じだ。
 僕は兄貴に突進して行った。ジーンズのズボンをつかみ、ジリジリと押していく。兄貴は僕の制服のベルトをつかんだ。
「遠慮するな」
 兄貴は有無を言わせぬ口調で怒鳴った。僕は従うしかない。
 兄貴の足を払い、教科書的なきれいな投げを食らわせる。兄貴はくるっと宙を舞い、背中をついた。軽く投げたつもりだが、床はコンクリートだ。かなり、痛いはずだ。
 それでも兄貴はすぐに起き上がると、また足を開いて手を前に出し、腰を引いて構えた。
「もう一本」
「兄貴、もうやめよう」
「いや、まだだ」
 僕はもう何も考えなかった。何度も何度も、かかってくる兄貴に足払いを食わせる。中学からずっと帰宅部で通したひ弱な兄貴が、細くても背中の筋肉が発達し、肩もがっしりしている僕に勝てないのは、分かっていたことだった。それでも、僕と兄貴は息が切れるほど、本気でぶつかり合った。
「よし、もう一本」
 兄貴はしつこく起き上がってくる。僕はだんだん息が切れて――だって、学校から病院まで全力疾走した後なのだ――、壁際まで兄貴に押しやられてしまった。
「どうした」
 ――くそっ!
 僕は足をぐっと踏ん張り、それから、すっと兄貴をかわした。勢い余って兄貴は壁に手をついた。
 それでもまだ兄貴はかかってくる。
「覚えているか? 昔、お前も親父にこうして何度も何度も、がむしゃらにかかっていったんだ」
 あのとき、のことを思い出した。
 ――さぁ、来い。親父は兄貴とけんかをしてやけどをさせた僕を叱らず、代わりに「相撲をとろう」と言い出したのだ。投げ飛ばすとはいっても、相手である僕はまだ六歳だ。軽く足を払い、そっとしりもちをつかせただけのことだ。投げ飛ばしながら親父は言った。
「お前は医者になるんだろう。だったら、もっとかかって来い。逃げないで何回も、何回もかかって来い」
 親父の顔を俺ははっきりと覚えている。目を見開き、俺を見つめながら、額に二本のしわを寄せ、口元をぎゅっと締めた親父の顔。親父は真剣そのものだった。僕は、初め、いつにない親父の気迫に負けて言うことを聞いていたのだが、そのうち、ただかかっていくことだけに集中した。倒れても倒れても僕は親父に向かっていった。
「あのとき、親父はお前に何を教えたかったんだろうな」
 兄貴の言葉は、僕の胸を深くえぐった。
 親父が死んだ日のことだった。
                                                                                          (完)








2003.12.7