御諏訪太鼓流家元 宗家小口大八





 御諏訪太鼓宗家会長

小口大八の主なる歩み (プロフィール)




 昭和26年(1951年)

 日本の風土から生まれた和太鼓の伝統的な大小様々な音色の異なった太鼓を集めて、

オーケストラ方式による独創的な組太鼓スタイル (複式複打法) を創案完成し、新次元の

太鼓音楽として世界に冠たる民俗芸能を作り上げ全国各地の公演と指導、また、たび

重なる国際公演に絶賛を博し既に90カ国以上の国際親善文化交流に大きく貢献し、日

本太鼓の音楽的確立とその位置づけをはかり、昭和53年、天覧のやまびこ国体開会式

500人の揃い打ちの作曲指導、さらに (財) 日本太鼓連盟創立の音頭取として、見

事に全国太鼓連800団体の結集をはかり、その副会長とし又長野県太鼓連盟の会長で

もあり、全日本郷土芸能協会理事としても活躍中である。

 昭和51年に御諏訪太鼓興行 (有) を設立、昭和54年に (有) 諏訪響太鼓店を設立

昭和57年に御諏訪太鼓学園、平成2年に世界の太鼓博物館を開館する。

 なお800チーム (平成14年現在) に及ぶ太鼓連を指導育成し国内においては北海

道から沖縄まで、海外おいてはアメリカ、サンフランシスコを始め全米に8チーム、カ

ナダにはトロント、他5チーム、その他シンガポール、フランス、クエート、マニラな

ど全世界に御諏訪太鼓指導育成チームを持ち、弟子の数8000名を数えている。

 著書 「日本の太鼓」 昭和55年、 「日本太鼓基礎打法」 昭和56年、 「天鼓」昭和

61年、 「複式複打法教本」 平成6年 。 「鼓訓」 平成14年あり、
長野県知事表彰

笹川良一先生表彰 国際アカデミー賞も受賞している
平成3年3月)

* ‘98長野オリンピック閉会式 日本の祭」 に 作曲 指導 出演、絶賛の2000人揃い

打ち 作曲指揮 「勇駒」 、 「信濃田楽」、 「万岳のひびき」 平成10年2月22日は世界

36億人の人々に強い感動と深い感銘を与え改めて日本太鼓の素晴らしさをを知らしめた。


己が太鼓か 太鼓が己か

        国立劇場調査養成部長 西角井 正大




 あの時、私は身震いしたのを思い出す。あの時とは、30年も前の東京オリンピック

の、芸術展示の民俗芸能公開のときである。できたばかりの東京都文化会館のモダン

アートで飾られたホールの壁に響きわたった太鼓の交響楽であった。それが小口大八

氏率いる「御諏訪太鼓」であった。いささか噂で聞いていた御諏訪太鼓はこれだったの

かと感心した。

 私は当時、無形文化財の保護行政と国立劇場設立準備事務を取り扱っていた、文化

財保護委員会 (現文化部) の無形文化 (現伝統文化課) に在籍していたが、昭和41

年に国立劇場に籍を移した。そのころ和太鼓もぼちぼち市民権の一角に顔を覗かせ始め

てきた。伝統的な 「御陣乗太鼓」 や 「八丈太鼓」 が注目されだし、新興の「助六太鼓」

や「みやらび太鼓」 が活動しだしていた。しかし、当時は民謡がブームだった。太鼓

と民謡は特に盆踊りで接点を持つが、御諏訪太鼓の成功が盆踊り太鼓の打ち手を組

太鼓に向かわせた。

 和太鼓は音楽化への意思を深めた。私は50年から和太鼓を探り始めた。その第一の

手掛りは御諏訪太鼓であり、小口大八師であった。当時明治神宮外苑で「日本の祭り」

なるイベントが開催されていて、小口氏に面識を得たのはそんな機会だったと思う。私

は、「太鼓打芸」「太鼓打学」なる造語を当て嵌め、組太鼓に「複式複打」の名を以って

分類立てした。小編成のものは伝統太鼓にもあるが、新しい音楽的コンセプトで大編成の

複式複打学の嚆矢と成功は、実に御諏訪太鼓をおいて外にない。私は将来これ

が和太鼓の主流になると信じて疑わなかった。52年9月の国立劇場第一回「日本の太

鼓」のトリは当然小口大八師と御諏訪太鼓にとってもらった。26年6月の「諏訪雷」

の傑作をはじめ、藤田正典作曲の前衛打学「汎心」までを披露した。今日までの60数

年におよぶ小口師の曲作りと演奏振りは、己が太鼓か、太鼓が己かとまごうばかりで

ある。そして太鼓は全人のものとの信念に、私は天佑あるを疑わない。




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