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番外編:メモルと森の主

「メモル・フェルディアーナ」・・・リルル村の村長の孫娘である、元気一杯の女の子。
 彼女の遊び場は、村の周囲に広がる森である。
 ここで、彼女は弓の練習をしながら、一日中元気に遊び回っているのだ。
 これは、そんなメモルが、今から2年前・・・8歳の時に体験した、小さな冒険の物語である。
 
 「行って来まーす!」
 リルル村の村長の家の玄関から、メモルが元気よく飛び出してきた。
 「気を付けて、行って来るのよー。」
 「あまり遠くまで行くんじゃないぞー。」
 「ハーイ!」
 両親の言葉にハキハキとした口調で応え、メモルは村の入口まで向かった。
 ちょうどその時、別の用事で村を出ていた村長が帰ってきた。村長はメモルを見るなりこう言った。
 「おや、メモル。今日は森へ出かけるのか?」
 「うん。おじいちゃんも、一緒に行く?」
 「いやいや、わしは遠慮しておくよ。この歳じゃ、メモルにはもう付いて行けそうもないしのう。
  それより、暗くならないうちに帰ってくるのじゃぞ。」
 「ハーイ!」
 村長に元気よく手を振って応え、メモルは森の中へと入っていった。
 この森は、あの精霊の森と同様、木の実や果物の類が、種類も豊富に採れ、村人達の生活を支えている。
 まだモンスターの動きがそれ程活発でないこともあって、トレントなどのモンスターも棲み付いていない。
 ただ、たまにここに迷い込んだモンスターが野性化して、人や動物達を襲うことがあるという。
 それ以外は、いたって平和そのものだ。
 「えいっ!・・・それっ!・・・えーいっ!!」
 メモルは、森の中を走りながら、お手製の弓矢を使い、その木の実や果物などを次々と落としていく。
 お手製とはいえ、なかなか頑丈に作られており、矢の勢いも十分にある。
 弓矢の扱いには、相当慣れているようだ。
 メモルは、落としては拾い、落としては拾いと、次々と木の実や果物を集め、予め持っていた麻袋の中に入れていく。
 時折、地面に生えている草の中から、薬草として使えそうなものを摘み取り、やはり麻袋の中に入れていく。
 そうして、麻袋がだいぶパンパンになってきた頃だった。
 「ふう・・・、今日はこれぐらいでいいかな・・・。そろそろ帰らないと・・・んっ?」
 メモルが、帰る方角を確かめようと、周囲を見渡した時、不意に見慣れない小動物の姿が目に飛び込んできた。
 「・・・あ、あれ?・・・確か、あれは・・・?」
 メモルは、何かを思い出そうとするかのように、その小動物をじっと見つめていた。
 それは、二等辺三角形のように先が鋭く角張った耳と青色の瞳を持ち、身体には黄色と茶色の縞模様がはっきりと浮かんでいる。
 パッと見、リスにも見えるが、ウサギ程度の体躯を持っていることから、違う動物であることは明白だ。
 「・・・ま、まさか・・・、『チト』・・・?」
 メモルは、ふと思い出したかのようにその動物を見つめながら言った。
 『チト』とは、こうした森に好んで生息する動物で、世界中、森のあるところには、必ずこのチトがいるという。
 しかし、生息数が極端に少なく、森に住んでいる者達でさえ、滅多にその姿を見ることはできないと言われている。
 いつの頃からか、リルル村の人々は、このチトを『森の主』と呼んで崇めるようになった。
 「・・・ま、間違いないわ、あれはチトよ。私、本で見たことあるもの・・・!」
 初めて目の当たりにした『森の主』の姿に、メモルは興奮を抑えきれないといった様子だった。
 だが、チトは非常に警戒心の強い動物であるとも言われ、少しでも刺激しようものなら、たちまちの内に姿を消してしまうという。
 メモルは、ゆっくりと音を立てないように、チトに近づいていった。
 チトは、その場から一歩も動こうとせず、近づいてくるメモルをじっと見つめている。
 もう少し・・・もう少しで捕まえられる・・・そう思った、その時!
 「ギャー、ギャー。バサバサバサ!!」
 突如、どこからか鳥が鳴き、激しく飛び立つ音が響いてきた。
 「ダダッ!」
 それを聞いたチトが、驚いたかのように反転し、その場から逃げ出してしまった。
 「あっ、待ってよーー!」
 メモルが慌ててその後を追いかけると、チトは一瞬動きを止め、メモルの方を見たが、すぐに前を向き直し、走り出した。
 「せっかく見つけたんだもん、逃がさないんだから!」
 メモルは、一生懸命チトの後を追いかけた。しかし、小柄故の身のこなしの軽さで、チトはヒョイヒョイっと森の中を進んでいく。
 それに対し、メモルは文字通り背中を見失わないようにチトを追いかけていく。しかし、その差は少しずつだが離れていく一方だ。
 もう、背中すら見えなくなってしまい、これ以上追いかけるのは無理・・・そう思った、その時!
 「ガチン!」「ピキィ!」
 突然、前方から何かが噛み合わさるような音が響き、その直後、動物の悲鳴にも似た泣き声が聞こえてきた。
 「・・・?・・・一体、何があったのかしら・・・?」
 メモルは、先程までとはうって変わって、ゆっくりと辺りに注意しながら、その音のした方へと歩いていった。
 やがて、少し上り坂になっているところを登りきり、そこから顔を出して向こう側を覗き込むような姿勢を取った。
 すると、そこには、狩猟用のワナにかかって動けなくなっているチトの姿があった。
 「あっ、ワナにかかってる!早く助けなきゃ!」
 メモルは、チトを助けるべく、大急ぎでその場所へ向った。
 ワナは、ギザギザの半円状の刃が左右対で円になるように取り付けられており、獲物がその円の範囲内に足を踏み入れたりすると、
 左右の刃が同時に動いて、ちょうど噛み付くような格好で獲物を攻撃し、動きを止めてしまうものだ。
 恐らく、以前ここを訪れた狩猟者が、ワナを仕掛けたことを忘れて帰ってしまい、そのまま放置されていたのだろう。
 それに、運悪くチトがかかってしまったのだ。
 「待ってて、今助けてあげるからね。」
 メモルが、ワナを外そうと、それに手を伸ばした。しかし、その直後、チトは逃げようとしているのか、その場で足をバタつかせ始めた。
 しかし、足の1つがワナにかかってしまっているのだ。当然、動けるはずもない。
 「動かないで!動いたら、余計傷口が広がっちゃうよ!」
 メモルが、足をバタつかせているチトを両手で押さえながら、やや叫び気味に言った。
 チトが暴れるたびに、ワナにかかっている足の傷口から血が飛び出してくる。そして、ワナ自体も激しく動き出し、とても外せるような状態ではなくなってしまう。
 「お願い、おとなしくして!じゃないと、あなた、死んじゃうのよ!」
 メモルは、なおも暴れようとするチトを押さえながら、必死の思いで訴えかけた。
 その思いが通じたのか、やがて、チトが少しずつではあるが、おとなしくなっていくのが見て取れた。
 そして、しばらくすると、チトはすっかりおとなしくなった。メモルが手を離しても、暴れ出す気配は全く見られなかった。
 「・・・よかった、おとなしくなってくれて。・・・じゃあ、今からワナを外してあげるからね。」
 そう言うと、メモルはワナに手を伸ばし、チトの足をこれ以上傷つけないよう、慎重に外した。
 ワナが外れた後も、チトはそこから少し離れただけで、逃げ出す様子は全く見られなかった。
 もちろん、足の痛みで、そこから動けないというのもあったが、その様子は、むしろメモルに助けを求めているようにも見えた。
 「・・・大丈夫よ。私が治してあげるからね。」
 メモルは、チトの足のケガをした部分に手を添えて、何やら呪文のようなものを唱え始めた。
 すると、掌から柔らかい光が放たれたかと思うと、たちどころにケガが治っていくのがはっきりと見て取れた。
 この頃から、メモルは回復魔法を身に付けていたのだ。もちろん、まだまだ未熟ではあるが、ワナにかかった程度のケガを治すには十分だった。
 「これで大丈夫よ。さ、立ってごらん?」
 メモルが、回復魔法のために添えていた手を静かに離すと、チトはゆっくりと立ち上がった。
 最初は、本当に大丈夫なのか確かめようとするかのように、ケガをしていた足を恐る恐る地面に突き立てていた。
 だが、痛みがすっかり治まっていることが分かると、チトは4本の足でしっかりと立った。
 そして、不意にメモルの顔目掛けて飛び付いてきた。
 「キャッ!」
 メモルは、いきなりチトが飛び付いてきたことに驚いたのだろう、そのまま後ろに仰向けになるように倒れこんだ。
 「・・・こ、こら、くすぐったいよ・・・、アハハハハ・・・。」
 そのすぐ後、何と意外にも、メモルの笑い声が聞こえてきた。
 よく見ると、チトがメモルの頬やおでこ等を何度もなめている。
 それは、まるでチトが自分を助けてくれたことに対し、お礼を言っているようにも見えた。
 メモルにも、それは何となく分かっていた。だが、あまりにくすぐったいので、思わず笑い声を出してしまった。
 「・・・あっ、そういえば・・・、ねえ、どうして、あなた一人でいるの?」
 ふと、メモルは何か思い立ったように、仰向けのままチトを抱え上げながら言った。
 実は、この大きさのチトは、まだ子供なのだ。ということは、この子の親がどこかにいるはずである。
 だが、辺りを見渡しても、それらしき姿はどこにも見当たらない。
 「もしかして、迷子になっちゃったの?・・・大変!すぐに探さなきゃ!!」
 メモルは、慌てたようにバッと起き上がり、チトの親を探すべく、そこから走り出した。
 すると、チトの子供が、メモルの後をピッタリと付いて来る。自分の親を探してくれようとしているのが、分かっているのだろうか。
 「あなたも来る?・・・じゃ、一緒に探そっ。」
 そして、メモルはチトの子供と一緒に、親を探し始めた。
 
 右へ行き、左へ行き、時には大きな木に登り、上から森の様子を見渡してみる。
 そうして、どの位の時間、森の中を探し回っただろうか。
 しかし、チトの親は、見つかるどころか、その手掛かりすら一向に得られない。
 元来、生息数の極端に少ない動物であることは分かっていたから、そう簡単に見つからないことは覚悟していた。
 だが、こうも見つからないとなると、メモルにも、さすがに焦りの色が見え始めていた。
 陽は、すでにかなり西に傾いていた。辺りが、段々暗くなってくる。
 ・・・もう、これ以上探すのは無理だわ・・・、どこか、適当な所で休まないと・・・、そう思い始めた、その時だった。
 「ガサリッ」
 ふと、前方の草むらの辺りから、何かが動くような音が聞こえた。
 「んっ?何かしら?・・・もしかして、チトの親・・・?」
 メモルは、その音のする付近を、注意深く見つめていた。チトの子供も、それにならうように一緒に見つめている。
 しばらくすると、草むらの奥から、何やら光るものが2つ見えた。
 それは、一定の間隔を置いて水平に置かれており、何かの生き物の眼のようにも見える。
 「・・・あっ、もしかして、あれ、あなたの親じゃないかしら・・・?」
 そう言って、メモルはチトの子供の方に目をやった。だが、何故かチトの子供は表情を険しくし、全身の毛を逆立てながらいきり立っている。
 「・・・ど、どうしたの?・・・あっ!ち、違う!あれは、親なんかじゃない!!」
 チトの子供の顔を改めてよく見てみたメモルは、思わず驚きの声を漏らした。
 チトの瞳は、青い色をしているのだ。だが、草むらの奥に光る、眼と思われるものは、赤い色をしている。
 これだけでも、あそこにいるのがチトの親ではないことは明らかだった。そして、チトの子供のいきり立った様子を見て、
 それが非常に危険なものであることを、メモルは直感的に見抜いた。
 いつの間にか、メモルは自分の手を強く握っていた。その手の中で、じわりと汗がにじみ出てくる。
 そして、その赤い「眼」が一際強く輝いた・・・次の瞬間!!
 「ガサガサ、ババッ!!」
 草むらの中から、一つの大きな影が姿を現した。そして、それはこちらに向かって飛び掛かってきた。
 「危ないっ!」
 メモルは、とっさにチトの子供をかばいながら横っ飛びにそれをかわした。幸い、メモルもチトの子供も無傷で済んだ。
 影は、体勢を入れ替えると、今度はゆっくりとこちらに近づいてきた。それにつれて、影の姿が次第にはっきりしてくる。
 「な、何なの、一体?・・・あ、あれは!!」
 影の正体に気付いたメモルは、驚嘆の声を上げずにはいられなかった。
 一見虎のようにも見えるが、上の歯からは、口からはみ出るほど長く鋭い牙が2本生えている。
 『サーベルタイガー』・・・それは、まぎれもないモンスターだった。
 恐らく、この森に迷い込んでしまっているうちに、野性化してしまったのだろう。その眼には、明らかにこちらに対する敵意が見える。
 「グオオーッ!」
 サーベルタイガーは、空気をも震わせるようなドスの効いた鳴き声を上げながら、再度こちらに突進してきた。
 「はっ!」
 メモルは、チトの子供を抱え上げ、また横っ飛びにそれをかわした。
 しかし、サーベルタイガーはすぐに体勢を入れ替えると、なおもこちらに向かって突進してきた。
 「こ、こうなったら・・・!」
 メモルは、矢を背中の矢筒から取り出し、サーベルタイガー目掛けて弓を引き絞った。
 そして、サーベルタイガーがこちらに飛び掛かってきたタイミングを見計らい、メモルは矢を撃ち放った。
 「んんん・・・えーいっ!」「ヒュンッ!」「グサッ!」
 矢は、サーベルタイガーの左目に命中した。
 「グオッ!?バタバタバタ・・・!」
 サーベルタイガーは、そのまま失速して地面に倒れ、もんどりうつように地面を転げ回った。
 「今だわ!逃げるわよ!」
 メモルは、チトの子供を抱え、大急ぎでその場を離れた。
 どこをどう進んだかなど、記憶している余裕は全くなく、ただサーベルタイガーから逃げるのに精一杯だった。
 そして、どれ位進んだだろうか、メモルもさすがに疲れたのだろう、肩で荒く息をしながら、近くの木に寄りかかるように座り込んだ。
 「ハア・・・ハア・・・ハア・・・、これだけ遠くに逃げれば、もう、大丈夫よね・・・。」
 そう言って、メモルが周囲を見渡した時、後ろの方から「ドタドタドタ・・・」と何かが走ってくるような音が聞こえてきた。
 「・・・な、何?・・・ま、まさか・・・?」
 メモルは、その音に悪い予感を覚え、思わず身体を小刻みに震わせていた。
 ・・・そして、それは不幸にも的中してしまった。
 「ガサガサーー、ババッ!」
 背後の草むらから姿を現したのは、何と、先程のサーベルタイガーだったのだ。
 その左目には、メモルが刺した矢が今だ刺さったままになっている。
 サーベルタイガーは、メモルを見つけるや否や、殺意をむき出しにした凶暴さに満ちた目つきで睨み付けた。
 「・・・そ、そんな・・・、に、逃げなきゃ・・・あっ!」
 メモルは、慌ててその場から逃げようとした。しかし、直後に足が絡まってしまい、前のめりに転んでしまった。
 「グルルルル・・・!」
 サーベルタイガーは、重低音の効いた唸り声を上げながら、ゆっくりとメモルに近づいてきた。
 「こ、この子だけは、何とかして守らなきゃ・・・!」
 メモルは、チトの子供を強く胸に抱き、自分の体で覆い隠すようにその場にうつ伏せになった。
 サーベルタイガーは、なおもゆっくりとメモルに近づいてくる。その度に、それを見つめるメモルの体が恐怖で震えた。
 まるで、恐怖に打ちのめされるメモルを見て楽しんでいるかのように、ゆっくり、じわじわと近づいてくる。
 そして、あるところまで近づいた時、サーベルタイガーの口が大きく開かれた。
 「!!!!」
 それを見たメモルは、全身を小さくちぢ込ませるように体を伏せた。
 今まさに、サーベルタイガーが、メモルに喰い付こうと飛び掛ってきた。・・・だが、その時!!
 
 「ドカッ!」「ギャンッ!」「バキッ!」
 突然、何かがぶつかる音がしたかと思うと、その直後、激しい鳴き声と共に何かが叩き付けられるような音が響いた。
 しかし、うつ伏せになり、地面しか見えていない今のメモルには、何が起こっているのか、分かるはずもない。
 「・・・?・・・い、一体、何が・・・?」
 メモルは、ちぢ込ませていた体を緩め、顔を上げて周囲を見渡してみた。すると・・・、
 「・・・あっ!こ、これって・・・!?」
 メモルが、不意に目を丸くして、驚きをあらわにした。それもそのはず、メモルの目の前に、大きな影がドドンと立っていたからだ。
 うつ伏せになったままではよく分からないが、それがサーベルタイガーではないことははっきりと分かった。
 「な、何なの、一体・・・?・・・あ、ああっ!!」
 立ち上がって、その影を見上げたメモルは、その正体にさらに目を丸くした。
 先が鋭く角張った耳、青色の瞳、そして、黄色と茶色の縞模様を持つ身体・・・。
 それは、紛れもない、チトそのものだった。
 ただ、違う点といえば、熊の親並みに大きな体躯を持つことと、長い尻尾を持つということだった。
 「・・・ま、まさか・・・、この子の、親・・・?」
 メモルが呆然としていると、突然、チトの子供が、その大きなチトの背中に飛び移り、その上を動き回り始めた。
 どうやら、この大きなチトが、あのチトの子供の親なようだ。

 そして、先程の大きな音は、チトの親がサーベルタイガーを体当たりで弾き飛ばした時の音だったのだ。
 と、近くの木に叩き付けられ、身動きが取れなくなっていたサーベルタイガーが、ゆっくりと起き上がり、こちらに向って歩き出した。
 まだ衝撃から完全に回復していないのだろう、眼はうつろなものの、メモル達に対する殺意は一つも消えていないようだ。
 「キキーーーーッ!!」
 それに対し、チトの親が眼をつり上げ、全身の毛を激しく逆立てながら、いきり立ってサーベルタイガーを睨み付けた。
 「グルルル・・・ググ・・・。」
 始めは、睨み返していたサーベルタイガーも、そのあまりの形相に、段々後ずさりしていった。
 そして、数歩下がったところで反転し、逃げ出すように森の奥へと消えていった。
 「・・・ふう・・・、た、助かった・・・。」
 メモルは、サーベルタイガーの姿が消えるのを見ると、緊張の糸が切れたのか、ペタンとその場に尻もちをつくように座り込んだ。
 やがて、穏やかな表情に戻ったチトの親が、静かにメモルの方を向いてきた。
 メモルも、それに対し、チトの親を見つめ返していた。そして、そんな状態がしばらく続いた、その時だった。
 チトの親が、ゆっくりとメモルの方へ歩み寄ってきた。自分に対して敵意がないことは、眼を見ればわかるものの、
 メモルは、思わずたじろぎ、尻もちをついたまま、2〜3歩後ずさりしていった。
 すると、チトの親が、今度は顔をメモルに近づけてきた。
 「・・・な、何よ・・・?」
 メモルは、思わず顔を引きつらせ、冷や汗を垂らした。・・・その時、チトの親は、メモルが予想だにしなかった行動に出た。
 何と、チトの親は、メモルの服の後ろ襟を銜えると、そのまま持ち上げ、そして、ポイっと放り上げてしまった。
 「ちょ、ちょっと、何するのよ!?キャーーッ!」
 メモルの身体は、ちょうど真上に放り上げられた。そして、着地したところは、何と、チトの親の背中だった。
 「・・・えっ・・・ええっ!?・・・ちょっと、どういうことよ・・・?」
 メモルが驚いていると、チトの親は、ゆっくりと走り出した。
 始めは歩く程度のスピードで、そこから徐々に上げていき、最終的には全速力に近いスピードで走っていった。
 「ねえ、どこ行くのよ?ねえってば・・・う、うわっ!!」
 メモルの問い掛けに耳を貸す様子もないまま、チトの親はなおも走り続ける。
 いつの間にか、メモルは振り落とされないよう、チトの親の体を強く掴んでいた。
 そして、どの位走っただろうか。あまりのスピードに、どこをどう走ったかなど、メモル一つも覚えていなかった。
 やがて、チトの親の走るスピードが、段々遅くなってきた。歩く程度のスピードになり、最終的には、その場に立ち止まってしまった。
 何か、起こったのだろうか・・・気になったメモルが辺りと見渡すと、右手の方角に、何やら洞窟らしきものがあるのが目に入った。
 すると、チトの子供が、親の背中から飛び降りると、その洞窟へ一直線に走っていった。
 「・・・あれって、もしかして、チトの巣穴・・・?」
 メモルも、チトの親の背中から飛び降り、チトの子供の後を追うようにその洞窟へと入っていった。
 洞窟は、割と奥まで続いていた。かなり暗いものと思われたが、周囲の壁には発光性のコケが塗られているらしく、意外と明るい。
 その一番奥には、大きな葉を幾重にも重ねて作り上げた寝床のようなものがある。どうやら、ここはチトの巣穴に間違い無さそうだ。
 「・・・へえ・・・、この森に、こんなところがあったなんて・・・、あっ!」
 メモルが巣穴をいろいろ見て回っていると、チトの親がどこかへ行こうとしているのが目に入った。
 「あっ、ちょっとまって!・・あ・・・ああ・・・。」
 メモルは、慌ててチトの親を呼び止めようとした。しかし、チトの親はそれを聞くともなしに、森の奥へと消えていってしまった。
 「・・・ど、どうしよう・・・、これじゃ、村に帰れない・・・。」
 すでに、陽は完全に沈み、夜の闇が森を支配しつつあった。これでは、下手に動いたら、完全に迷子になってしまうだろう。
 仕方なく、メモルは巣穴に戻り、夜が明けるのを待つことにした。
 「・・・とりあえず、これでも食べていよう・・・。」
 メモルは、懐からパンパンになった麻袋を取り出し、先に採っておいた木の実を一粒つまんで食べようとした。
 その時、隣にいたチトの子供が、いかにも食べたそうにその木の実をジーッと見つめた。
 「食べたいの?・・・じゃあ、はい。」
 メモルは、その木の実を地面に置き、チトの子供の前に差し出した。すると、チトの子供は一口でその木の実を食べてしまった。
 そして、メモルが別の木の実を食べようとした時、また、それを食べたそうにジーッと見つめていた。
 「・・・分かったわ、全部あげる。・・・はい。」
 メモルとチトの子供は、しばらくにらめっこするように見つめあっていたが、やがて、メモルが根負けしたのか、
 麻袋の中の木の実や果物を全部出すと、チトの子供は嬉しそうにそれらをかいつばんでいった。
 その様子が、あまりに愛くるしかったのだろう、メモルは、お腹が空いていたことも忘れ、思わず笑みを浮かべた。
 そして、メモルは巣穴の入口から見える夜の森を見つめた。笑顔がこぼれていた顔が、次第に悲しい表情に変わっていった。
 「・・・パパ・・・ママ・・・おじいちゃん・・・。」
 メモルは、そうつぶやきながら、その場に体育座りをするようにうずくまった。
 全ての木の実や果物を食べ終わったチトの子供が、心配そうにメモルの側に寄り添ってきた。
 悲しげな静寂が、巣穴全体を包み込む。発光性のコケが、メモルを慰めるかのように優しい光を放つ。
 ・・・そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。
 ふと、動物の足音のような音が聞こえてきた。
 しかし、メモルはそれを聞いても、うずくまったまま、全く顔を上げようとしない。
 その足音は、巣穴の中まで入ってきた。それでも、メモルはうずくまったままだ。
 その時、メモルの足元から、何か細かいものが置かれるような音が聞こえた。
 「・・・ん・・・な、何・・・?」
 その音に、ようやく顔を上げたメモルは、そのものを見て思わず戸惑いの表情を浮かべた。
 それは、この森に自生している木の実や果物の類だった。
 そして、目の前には、いつの間にいたのか、チトの親の姿があった。
 先程の足音は、実はチトの親のものだったのだ。そして、この木の実や果物も、チトの親が採ってきたものに間違いなかった。
 メモルが、どうしていいか分からず、多少オロオロしていると、チトの親が前足を使い、
 その木の実や果物をメモルの前に差し出してきた。
 「・・・こ、これ、私に・・・?」
 メモルが聞くと、チトの親は頷くように首を小さく縦に振った。
 それを見たメモルは、差し出された木の実を一粒手に取り、ゆっくり口の中に入れた。
 一口、また一口と、木の実を噛み締めるたびに、メモルの心に、何かがこみ上げてくる。
 それが一体何なのか、メモル自身にも分からない。だが、いつの間にか、瞳からは涙が零れ落ちてきていた。
 「・・・ウ・・・ウ・・・ウ・・・。」
 メモルは、溢れ出てくる涙をこらえつつ、木の実を1つ、また1つと口に入れていく。
 しかし、こらえればこらえるほど、涙はとめどなく溢れ出てくる。いつしか、それは木の実や果物にも零れ落ちていた。
 メモルがそれを口に入れると、自分の涙の味に変わっていたことに顔を少しだけ引きつらせた。
 ・・・そして、全ての木の実や果物を食べ終わった・・・その直後。
 「・・・グラ・・・バターン!」
 メモルとチトの子供の目の前で、チトの親がゆっくりとその場に倒れこんでしまった。
 「ど、どうしたの?・・・ああっ!」
 目の前で起きた予想外の事態に、メモルは慌ててチトの親の側に駆け寄った。
 そこで、メモルが目にしたものは・・・何と、チトの親の横っ腹に当たる部分に、何か動物の牙のようなものが、深く突き刺さっている。
 「こ、こんなものが刺さっていたなんて・・・私、何で気付かなかったんだろう・・・。」
 メモルは、それに気が付かなかったことに、後悔の色が強く浮かぶ。
 「・・・あれ?これって・・・、ま、まさか・・・!」
 その牙のようなものを改めて見てみたメモルは、不意に恐怖に顔を引きつらせた。
 何故なら、それには非常に見覚えがあったからだ。メモルは、あの時の光景を思い出し、目を丸くした。
 メモルは、巣穴の入口に大急ぎで走り出し、外を見てみた。すると・・・、
 「・・・あっ、あれは・・・そんな・・・!」
 巣穴の外で待っていた光景に、メモルは愕然とした。
 それもそのはず、巣穴の外にいたのは、あの時メモルとチトの子供を追いかけた、あのサーベルタイガーだったからだ。
 左目に、矢を撃たれた跡が残って潰れている。やはり、あのサーベルタイガーに間違いなかった。
 チトの親の威嚇で逃げ出したと思われていた、あのサーベルタイガーが、再度こちらを狙ってやって来たのだ。
 よく見ると、サーベルタイガーは、牙が片方折れてなくなっている。それを見たメモルは、さらに戦慄を覚えた。
 そう、折れた牙は、チトの親に刺さっていたのだ。つまり、チトの親は、途中でサーベルタイガーに襲われたということになる。
 そして、牙が突き刺さった状態のまま、巣穴までメモルのために木の実や果物を持ち帰ってきたのだった。
 「・・・あなたがやったのね・・・!・・・ぜ、絶対に許さないんだから・・・!!」
 メモルは、涙を拭い、矢を抜いて弓を構えた。それを見たサーベルタイガーは、メモルに対する殺意をむき出しにし、低い足音を立てて近づいてきた。
 メモルは、そのサーベルタイガーに慎重に狙いを定め、放つタイミングを計っていた。
 そして、ゆっくりと近づいてきたサーベルタイガーが、牙を突き刺そうとするかのようにメモルに襲い掛かった。・・・その時!
 「ここっ!えーい!!」
 その瞬間を待っていたかのように、メモルは渾身の力を込めて矢を撃ち放った。
 「ヒュンッ!グサッ!」
 その矢は、サーベルタイガーの右目に命中した。その直後、メモルはその場から横っ飛びに離れた。
 「ドカッ!!」
 サーベルタイガーは、視界を完全に失ったことに慌てたのか、そのまま真っ直ぐ突っ込み、巣穴の横の岩に頭からぶつかっていった。
 そして、ズルズルと頭で岩を滑るように地面に倒れ、そのままピクリとも動かなくなった。
 「ハア・・・ハア・・・、や、やったの・・・?」
 メモルは、倒れたサーベルタイガーに恐る恐る近づいてみた。しかし、もはや動く気配は1つも感じられない。
 「・・・や、やったわ・・・、あっ!そうだ!!」
 メモルは、ハッと思い出したかのように巣穴の中へ戻っていった。
 そう、牙が突き刺さったままのチトの親の容態が、心配になったのだ。
 チトの親は、痛みと出血で苦しそうに息を荒げている。そのすぐ側では、チトの子供が心配そうに親の顔を見つめている。
 「・・・な、何とか助けなきゃ・・・、よし・・・!」
 メモルは、意を決し、チトの親に刺さっている牙を抜き取りにかかった。
 傷口からは、ジワジワと血がにじみ出てくる。メモルは、これ以上余計に出血しないよう、慎重に牙を引き抜いていく。
 「・・・ギ・・・ギイ・・・。」
 メモルが牙を動かすたびに、チトの親は苦しそうに鳴き声を上げる。
 「我慢して!お願い!」
 そんなチトの親に、メモルは必死の思いで声を掛ける。
 それが通じたのか、チトの親はそれから何も言わず、ただメモルが牙を抜いてくれるのを待っていた。
 「・・・んん・・・もう少し・・・あとちょっと・・・、んっ!抜けた!」
 そして、ようやくメモルはチトの親に刺さっていた牙を引き抜いた。幸いにも、出血はそれほどひどいものにはならなかった。
 その後、すぐにメモルは先に摘み取っていたありったけの薬草を、傷口に貼り付けた。しかし、予想以上に傷がひどいのか、出血が止まる気配は全くない。
 「ど、どうしよう・・・、そ、そうだ・・・!」
 メモルは、薬草の上から傷口に両手を添えると、回復魔法の呪文を唱え始めた。
 やがて、メモルの掌から柔らかい光が放たれた。しかし、傷口は少しも塞がる様子が見られない。
 「わ、私の魔法じゃ無理なの?・・・お願い、治って!治ってよーーー!!」
 メモルは、文字通り神様に祈るかのように、必死に魔法を唱え続ける。
 そんなメモルの必死の祈りが天に届いたのか、少しずつではあるが、チトの親の傷口が塞がっていく。
 しかし、メモルも疲れてきたのだろう、段々光が鈍くなってきた。
 「お願い!もう少し、もう少しだから・・・!!」
 メモルは、自分自身を奮い立たせるかのごとく声を出し、魔法を唱え続ける。
 ・・・そして、どの位時間が経ったか分からないほど経った時、ついにチトの親の傷口が完全に塞がった。
 「・・・ハア・・・ハア・・・ハア・・・、や、やったわ・・・、ガクッ!」
 メモルは、それを見て安心したのか、魔法を使い続けて精神力を使い果たしてしまったのか、操り人形の糸が切れたかのように、その場に倒れ込んでしまった。
 
 「・・・ん・・・んん・・・、あ、あれ・・・?」
 気が付くと、メモルは巣穴の寝床の中にいた。その隣には、チトの子供が静かに眠っている。
 「・・・そうか・・・私、あの時、倒れ込んじゃって・・・、えーっと、それから・・・。」
 メモルは、昨日の出来事を思い出そうとするかのように、天井を見上げていた。
 「・・・あっ、そうだ。チトの親は・・・?」
 何かを思い立ったように、メモルは巣穴の入口へと走っていった。そして、メモルがそこで見たものは・・・。
 「・・・あ・・・ああ・・・。」
 眼前に広がる光景に、メモルは思わず言葉を失った。
 メモルの回復魔法で、すっかり元気を取り戻したチトの親が、小高い丘の上に立ち、何かを見つめるように空を仰いでいた。
 その身体は、朝の木漏れ日を浴びて黄金色に輝いていた。それは、まるでこの森に朝の訪れを告げているかのようにも見えた。
 その神々しささえ感じさせる姿に、メモルはチトが『森の主』と呼ばれている本当の理由が、分かったような気がした。
 「・・・あっ、そうだ。」
 メモルは、何かを思い出したかのように、チトの親の側にやって来た。
 「あ、あの、私、村に帰らなくちゃいけないの。でも、ここからじゃ、どっちへ行ったらいいか分からないの。
  お願い、私を村まで連れて行って!それが無理なら、せめてどっちへ行けばいいか教えて!」
 その願いに対し、チトの親は丘を降り、メモルの側までやって来た。
 それとほぼ同時に、チトの子供が巣穴から出て来て、親の背中の上に乗ってきた。
 「えっ?の、乗れっていうの?・・・もしかして、私を村まで連れて行ってくれるの・・・?」
 メモルの問い掛けに、チトの親は「早く乗って」と言わんばかりに自分の背中をメモルに近づけてきた。
 メモルは、少しためらいつつもチトの親の背中に乗った。そして、自分がリルル村から来たことを言うと、チトの親は、ゆっくりと森の中を走り出した。
 
 「うーむ・・・メモルは、まだ帰って来ないのか・・・?」
 「一体、どこまで行ってしまったのかしら・・・?」
 リルル村の入口付近では、メモルの両親と村長、そして、他の村人達が、今だ戻って来ないメモルの帰りを心配しながら待っていた。
 「・・・あっ、あれ、メモルじゃない!?」
 その時、村人の1人が森の向こうを指差すと、確かに、こちらに向って来る何者かの姿が見えてきた。
 それは、紛れもない、メモル本人だった。チトの親の背中に乗せられて、村に近づいて来る。
 「あっ、本当だ、メモルだ!メモルが帰ってきたーー!」
 「ああ・・・メモル・・・メモル・・・!」
 メモルの両親が、誰よりも早くメモルの下に向って走ってきた。
 「あっ、パパー、ママー!!」
 それを見たメモルが、チトの親の背中から飛び降り、両親に抱きついてきた。
 「もう、メモル・・・心配かけて・・・!」
 「ご、ごめんなさい・・・、私・・・、私・・・。」
 「・・・いいんだ。無事でいてくれさえすれば・・・。」
 メモルの両親は、それぞれメモルを挟むように抱き締めた。そして、しばらく経った時、父親が、こんなことを言い出した。
 「それより、メモル、これは『チト』じゃないのか?何故、チトと一緒にいるんだ?」
 「え?えーっと、それは・・・あっ!」
 メモルが話そうとした時、チトの親子はその場で反転し、森の奥へと向っていこうとした。
 「あ、あの・・・助けてくれてありがとう。また、会おうねー!」
 メモルがそう呼び掛けると、チトの親子は少しだけこちらを向き、その後、静かに森の奥へと消えていった。
 「あ、パパ、ママ、私、もうすごいもの見ちゃったんだから・・・、あのね・・・。」
 「はいはい・・・、話の続きは、家でゆっくり聞いてあげるからね。」
 そして、メモルは両親の間に挟まれるように、両手をつなぎながら家の中へと入っていった。
 ・・・だが、これ以降、メモルがチトと出会うことはなかった。
 チトが、本来とても警戒心の強い動物で、人前に姿を現すことなど、滅多にないと言われている。
 では、何故あの時チトの子供は、メモルの前に現れたのだろうか。それは、誰にも分からない。
 ただ、例え理由が分からなくても、メモルはこの出会いは単なる偶然ではないと、今でも信じている。
 そう、またいつか会える、その時を待ちながら・・・。
 
 こうして、メモルの小さな冒険は、ここにその幕を閉じた。
 しかし、その2年後、メモルは再び冒険の旅へ出ることになる。
 その冒険の導き手は・・・。
 
 「あ、あの・・・、私も連れて行って下さい!」
 「えっ!?」「何っ!?」