三笠刀
日露戦争で、戦艦「三笠」は帝國連合艦隊の旗艦であった。ロシアのバルチック艦隊を殲滅した「日本海々戦」の前年(明治37年)、「三笠」は「黄海々戦」で後部二連装主砲の一門を破壊された。
この破壊された主砲残鉄を使って刀剣を造る計画が水交社(海軍士官の親睦団体)などで持ち上がっていた。
昭和3年2月17日、「日本海々戦に有名な軍艦「三笠」の殊勲を記念したいと海軍で研究中の處、十二吋(30p)副砲※を室蘭にいる刀剣界の権威、瑞泉氏に見せた處「立派な日本刀が出来る」というので短剣・長剣三千口を作ることとなりその見本が水交神社に奉納する一組と安保海軍大将に一振り送付された」と函館新聞は報じた(新聞要約、※主砲の誤記。加賀美憲晴様のご指摘で判明)
昭和3年1月〜7年5月の間、この砲身残鉄を使用して(株)日本製鋼所室蘭工業所(現室蘭製作所) 瑞泉鍛刀所の名門刀匠堀井秀明一門が作刀。
三笠長剣(229本)・甲種三笠短剣 973本 (皇国興廃在此一戦の彫刻)・乙種三笠短剣
451本が造られ、「水交社」を通じて販売された。
他に、特攻隊生みの親、大西滝治郎中将の愛刀「以軍艦三笠砲鋼
秀明作」の日本刀等がある。
銘は12種以上有り、銘から推測して、砲鋼のみ使用の火造り刀から玉鋼併用の鍛錬刀まで作刀方法は数種類あった。
銘
三笠・以三笠砲鋼・以三笠砲鋼作之・以軍艦三笠砲鋼・以三笠艦砲身作之・加三笠砲鋼・加三笠砲鋼精鍛・加和鋼以三笠砲材
加軍艦三笠砲鋼精鍛之・秀明・源秀明・室蘭住秀明作
Mikasa-tō
In
the Russo-Japanese War, the battleship "Mikasa" was a flagship of a Empire Combined Fleet.
An enemy's shell hit the gun
at "the naval battle of the Yellow-Sea", and the battleship "Mikasa" which made the Baltic Fleet of Russia destroy completely at "the
naval battle of the Japan-Sea " had the gun destroyed in the previous year (Meiji 37=1904). A plan to forge a sword using
the iron with which this destroyed gun remained was promoted at Suikōsha (a naval officer's friendship organization). In Nihon
Seikō Co., Ltd Muroran Industrial Factory (present Muroran Factory) Zuisen Sword Workshop, swordsmith. Hideaki
(Kaneaki and Toshihide is same person) Horii's prominent family used the iron with which it remained for this
guns, and forge the Mikasa sword during January, 1928 - May, 1932.
The Mikasa swords were forged 229. The grade Kō Mikasa dirks
(It is with "the fate of a Japanese Empire is decided by this battle" sculpture were forged 973, and the grade
Otsu Mikasa dirks were forged 451. And it was sold through "Suikosha" .
There is another Japanese sword of "By
the steel for the guns of Mikasa: Hideaki forge "Mei which a special attack party(Kamikaze) real parent and Vice Admiral
Takijirō Ōnishi used regularly. It guessed from the Mei and there were some kinds of methods of forging swords, such as a fire
structure sword of use of only the steel for guns and a forging sword which used Tamahagane (Japanese sword-steel) together.
甲種三笠短剣
(刃長: 24.75p・反り無し)
「皇國興廃在此一戦」彫刻
Grade A Mikasa dirk
Edge length: 24.75cm
No curvature
"The
fate of a Empire is decided by this battle" sculpture
甲種三笠短剣押形→
表銘: 三笠砲鋼 秀明
裏銘: 昭和五年八月日
Mei: Mikasa gun steel Hideaki
Uramei: August, 1930
三笠短剣押し形: 海軍兵学校士官候補生三笠刀佩用芳名
The Mikasa dirk Oshigata: The name of a person which
carries the Naval Academy cadet's
Mikasa dirk.
実用軍刀身 (2) 三 笠 刀
瑞泉鍛刀所
Practical Gunto's blade (2)
Mikasa-tō Zuisen
Forging Workshop
三笠短剣の人気が高く、短剣の製作が一段落した後、水交社は更に追加製作を日本製鋼所に依頼した。
昭和6年7月、日本製鋼所と水交社の間で『短刀の茎に「三笠」と「社章」(創立当時の旧社章)を刻む』ことで合意した。
然し、秀明が「数打ちは甚だ迷惑至極御免被りたし」と
8月に本社に宛てた手紙が存在する。その為に、秀明の銘は入れず「製鋼所製」と刻んで弟子に打たせる事になったようだ。
この「三笠」の文字と「社章」が刻まれた短刀や「製鋼所製」の銘のある短刀の押し型はない。
(近年、日本製鋼所の旧社章に一見似通っているダビデの星に似た刻印を持つ偽物がかなり市場に出回っている)
←三笠長剣押し形
表銘:奉納 水交神社
裏銘:以三笠艦砲鋼謹造
The Oshigata of the Mikasa sword
Mei: Dedication Suikō shrine Hideaki
Kinzo
Ura-mei: Forge with the steel for the guns of Mikasa
堀井秀明 (詳しくは以下の関連記事参照)
日本製鋼所の招聘で東京より室蘭に移住。大正7年7月入所。
大正7年8月、瑞泉鍛刀所の火入式、昭和18年10月没。
兼明・俊秀は同人。戦前の代表的刀匠。
関連記事
(押形は、瑞泉鍛刀所堀井胤匡刀匠様ご提供)
水交社より東郷元帥へ贈呈された三笠刀
Mikasa sword presented to Admiral Tōgō by Suikōsha.
水交社は昭和7年、東郷平八郎元帥に三笠砲鋼の刀を贈呈する為、日本製鋼所瑞泉鍛刀所の堀井秀明刀匠に作刀を依頼した。The
Suikōsha is a naval officer's friendship organization. Suikōsha requested the sword making of Mikasa's gun steel to Japan Steel Works
Zuisen Sword Workshop's Hideaki Horii swordsmith in 1932.
刃長: 二尺二寸五分(68.4p) 反り: 六分(1.9p)
Blade length: .68.4cm Curvature: 1.9cm
刀身切先側に樋、ハバキ側に素剣の彫り
The
Kissaki side has a fuller. The Habaki side has an engraving of the sword.
銘: 加和鋼 以三笠砲材 瑞泉 源秀明 謹作
Mei: Tamahagane is mixed with Mikasa's gun steel Zuisen Minamoto Hideaki
裏銘:
昭和七壬申(みずのえさる)歳 春吉日
Uramei: 1932 Spring lucky day
平成19年、堀井胤匡刀匠に依り、本刀の真贋に就いて瑞泉鍛刀所保存の押し形集と照合した結果、東郷元帥への真正の贈呈刀と確認された。
瑞泉鍛刀所の記録に残る押し形
長サ二尺二寸五分有之 水交社注文
元帥東郷閣下ヘ贈呈 相州傳
The Oshigata recorded on Zuisen Sword Workshop.
平成17年、本刀に付けられた日刀保「保存刀剣」証書に記載の茎の複写図
本三笠刀の消息
昭和34年9月、佐藤醇造なる人物がアメリカの元太平洋艦隊司令長官チェスター・ウイリアム・ニミッツ元帥を訪問した。佐藤氏は米国に於て接収日本刀の返還活動をしていた模様である。
その時、佐藤氏はニミッツ元帥から、東郷元帥への贈呈三笠刀と、元上杉家の重宝・備前兼光の二口の刀を託された。
昭和35年9月28日、上野の国立博物館で接収日本刀の返還式が行われ、三笠刀は所有者の板垣金信氏(三笠保存会理事)に返還された。
「刀剣美術」誌、佐藤醇造寄稿文より
板垣金信氏は鹿児島出身、海兵51期(大正12年7月)、終戦時は海軍々令部軍務局員・海軍大佐で、海軍大船仮俘虜収容所に3年の禁固刑で収監されていた。
東郷元帥の手元を離れ、海軍中将小笠原長生が所蔵していたとの説があるが、少なくとも終戦時は板垣金信大佐が所有していた。
終戦時、米軍に接収され、ニミッツ元帥の手元に在った事が判明した。ニミッツ元帥は東郷元帥を生涯崇拝し続けたことで知られる。
平成17年に某刀剣商が日刀保の「保存刀剣」を付けて市販した。
昭和7年から板垣金信大佐に渡る迄、板垣金信氏から平成17年迄の履歴は判っていない。
本刀の流転の経緯をご存知の方は是非ご連絡を下さい。
(写真提供:
村上彰様)
←刀鍛冶堀井家百五十年の歴史「えにし」誌
本誌の中にも本刀の説明と押し形が収録されている。
贈呈当時の外装がこの打刀の拵えかどうかは不明。↑
水交社の性格と昭和7年の時局を考えると、海軍長剣に仕込まれていた可能性もある。
戦艦「三笠」 日本海々戦当時の戦時塗装
Battleship Mikasa (Russo-Japanese War that time of 1905)
字体と鑢目に注意
「興国ノ興廃・・・・」彫刻は外部業者で処理された
Partial expansion of a right dirk