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日記11年07月
2011年8月31日(水)

独りじゃないこと。
前に進むこと(ときにはブレーキも)。
答えは自分の中にあること。
これが私の四十歳の通過点である。

独りであること、
未熟であること、
これが私の二十歳の原点である。
「二十歳の原点」(高野悦子)

2011年8月30日(火)

39歳最後の日に,40年前,私が生まれた日に,
父と母は,どんな気持ちだっただろうかと想像してみました。
少し感傷的な気分になりました。
論語の一節(巻第九 陽貨第十七)を思い出しました。
金谷治訳(岩波文庫)

子生まれて三年,然る後に父母の懐を免る。
夫れ三年の喪は天下の通葬なり。
予や,其の父母に三年の愛あらんか。
(子供は生まれると三年たってやっと父母の懐を離れる。
あの三年の喪というのは,世界じゅうのだれもが行なう喪である。
予(宰我)にしても,その父母から三年の愛を受けたであろうに。)

2011年8月29日(月)

40を前にして,私が覚えるべきなのは,
ブレーキをかけることではないだろうか。
それさえ覚えれば,もう一度ブレークするような気がします。
ブレークスルーする予感がします。
今まで,ブレーキをかけた記憶がないのです。
こんな風に変われたらと思います。
・40歳未満 一切ブレーキせずに全速力だった愚かな自分
 ↓
・40歳以上 時にはブレーキを踏みつつ前に進む賢い自分
シフトダウンは苦手かもしれないです。
どうせ走るなら,ギアはトップに入れていたいのです。
でも,危険だから,ブレーキを踏むことを覚えようと。

2011年8月28日(日)

古本屋で,大量の本を買ってきました。
古本屋から帰ると,値段の書いてあるシールを剥がすくせがあります。
見栄なのでしょうか。
シールを剥がすと新品同様になるという気がするのです。
夕方,4キロ程走ってきました。
運動のためというより,ボーッとして頭を整理したいという気持ちからです。

2011年8月27日(土)

22年前の棒倒しでなぜ負けたのかというと,
そこから多くのことを学ぶためではないか。
強く望めば望む程,手に入らないときの痛みは大きい。
しかし,痛みが大きければ大きい程,多くのことを学べる。
人生はうまくできていると思ったりします。
要するに,今だに悔しいってことですが。
手に入るにしろ,入らないにしろ,それが何であれ,
強く望んだ方が面白い人生ではないかという結論です。
手に入れて大喜びしたり,手に入らなくてずっと悔しい思いをしたり,
お祭り騒ぎを続けている方が面白いのではないかと。

2011年8月26日(金)

20日に,夏の甲子園が終わりましたが,
24日に,高校野球高知県選抜大会(新人戦)が開幕しました。
感傷的になっているヒマもなく,3年生が抜け,チームは代替わりします。
明徳は,今日の初戦高知南戦に9対2で完勝しました。
来春センバツへの闘いはもうすでに始まっています。

2011年8月25日(木)

8月末で,一年の2/3が終わります。
同時に,私は40歳になります。
人間の一生を60年と考えると,2/3が終わることになります。
一年の2/3は,あっという間に過ぎてしまいました。
残りの1/3も,瞬きする間に通り過ぎてしまうのでしょう。
一生の2/3も,ついこの間のことのようでした。
残りの1/3も,一瞬で過ぎ去っていくのかもしれません。
それでも,生きたと思える瞬間を味わいたいものです。

2011年8月24日(水)

久保利英明先生の講演を聴きました。
「士業間・士業内 大競争時代の経営戦略」というテーマで,
士業に求められる3つのYのお話がありました。
@ Yasashii心。
A Yawarakai頭。
B Yuuki勇気。
の3つということで,確かにその通りだと思いました。
依頼者に接したときに,弁護士に求められるだけでなく,
法律事務所の経営者にも求められる3つのYだと痛感しました。

2011年8月23日(火)

やるべきことが多過ぎて,頭が痛くなりそうです。
「天」(福本伸行)の1シーンを思い出します。
アルツハイマーにかかり自ら死を選ぶ赤木を,
暴力団組長の原田は哀れむのですが,
赤木は原田に,お前は何もかも積み上げすぎて,
自由でないだろうと哀れむのです。
成功を積み上げ過ぎることは非常に危険だと思います。
何も成功したわけではありませんが,
一つ一つ片付けていくしかありません。
今夜は,タクシーで帰宅しました。

2011年8月22日(月)

甲子園で準優勝した光星学院の選手達の飲酒等が発覚しました。
タイミング的にどうかという問題はあります。
いくつかの学校で,不祥事が問題になったことがあり,
05年夏の甲子園に来た後で出場辞退となった明徳と比較して,
決勝戦まで闘い終えてしまった光星は,不公平とも言えます。
高校生の飲酒はもちろん許されないでしょう。
しかし,連帯責任で出場辞退というのは違うんじゃないかと思います。
他の生徒まで不祥事の責任を取らされるべきではないと,私は考えます。

2011年8月21日(日)

午後3時頃に,近くのファミレスに駆け込みました。
3時までに入店すればセーフという基準なので,ランチを食べました。
同じメニューでも値段がかなり違うので,
ランチの方が気分良く食べられます。
ただ,サラダバーなどで食べ過ぎるのは禁物です。

2011年8月20日(土)

夏の甲子園は,日大三高が優勝しました。
大エースを中心にした守りも,猛打の攻撃陣も,他を圧倒する強さでした。
神宮制覇,春ベスト4,夏優勝ですから,異次元の強さでした。
明徳は春初戦で日大三に敗れ,夏2回戦で習志野に敗れ,
両者の対戦は,日大三に軍配が上がりました。
くじ運が悪いとも言えますが,両校とは大きな力の差がありました。
3季連続出場で積み上げた経験をどこまで結果につなげていけるか,
新人戦・秋季大会は,すぐに始まります。

2011年8月19日(金)

答えは自分の中にあるはずという仮説を立てたので,
ではそれを探そうという気持ちになっています。
一人でものを考える時間を作ったりしています。
ボーッとしているのとあまり変わりませんが。
答えを探すというより,答えが見えてくるのを待っている感じです。
しかし,そういう時間も大切だと思うのです。

2011年8月18日(木)

答えは自分の中にあると思っています。
やるべきことが山のようにあって,混乱しそうになりますが,
自分とキャッチボールをすることで(壁当てと言うべきか),
つまり,自分と向かい合って,きちんと考えることで,
優先的にやるべきことが見えてくるように思うのです。
今まで,多くのものを望み過ぎていたかもしれません。
一つ一つ,順番に片付けていかないといけません。

2011年8月17日(水)

私の夏は終わりました。
気持ちを切り替えないといけません。
もうすぐ40歳になりますし。
どんな40代になるのでしょうか。
どんな40代でも良いのですが。
もう何が来ても,何が起こっても,不思議ではない気がします。
常に自分らしくあり,どんなことにも面白みを感じていられたら。
そんな風に思いますが,何にしても楽しみです。

2011年8月16日(火)

70年前の今日,父が生まれました。
40年前の8月に,私が生まれました。
100年前の11月に,祖父が生まれました。
100年なんて,あっという間かもしれません。
時の流れに比較すれば,人間の一生なんて,
取るに足らない小さなものかもしれません。
そうであったとしても,それは分かっているけれど,
できる限りのことをする一生にしたいと思うのです。

2011年8月15日(月)

66回目の終戦記念日です。
戦争をしてはいけないことはもちろんですが,
せざるを得ない状況に追い込まれてはいけません。
失敗から,絶えず学び続けていかなければなりません。
4年前の終戦記念日に,仙台育英対智弁学園戦で,
仙台育英の佐藤由規投手が球速155キロをマークし,
「甲子園史上最速記録」を塗り替えたことを覚えています。
それまでは,01年夏に日南学園の寺原隼人投手が出した,
154キロが最速だったという話です。

2011年8月14日(日)

夫婦・離婚について書くのはなかなか難しいと感じています。
多くの人にとって必要な答えですが,なかなか見付からないものですから。
簡単に答えが見付かるようであれば,誰も苦労しないでしょうし。
答えは人によって違うでしょうし。
人を説得するのは,さらに難しいと思われます。
それでも,今できる限りのことをしよう(書こう)と思っています。
多くの人にとって,夫婦・離婚というのは極めて重要な問題ですし,
考え方の材料やヒントを提供できればと思っているのです。

2011年8月13日(土)

明徳は,習志野に完敗して,10年越しのリベンジはなりませんでした。
明  徳 001 100 001  = 3
習志野 320 301 00× = 9
98年夏準決勝対横浜戦で,寺本→高橋→寺本の継投で敗れて以降,
明徳は,基本的に,「エースと心中」という考え方です。
02年夏も,実質的には,田辺一人が投げきりました。
11年は,春も夏も,尾松がエース(背骨のようなもの)でしたが,
そのエースが4回裏1死2,3塁で降板するようでは勝ち目はありません。
高知予選決勝で中平の好捕に救われ,号泣する背番号1が印象的でした。
尾松ほど練習をした選手はいないと馬淵監督が言い,
監督が坂道ダッシュを止めさせたという話がありますが,
甲子園の舞台では,すでに限界に近い状態だったようです。

2011年8月12日(金)

10年前の夏,2回戦で,明徳は習志野に,1対2で敗れました。
月末に私は30歳になり,翌月に米国同時多発テロ事件が起き,
二回試験を受け,弁護士となりました。
あれから,10年が経ちます。
仕事については,無我夢中で前に進もうとしてきただけです。
明徳は,翌年に全国制覇しましたが,05年には出場辞退となり,
その後の長い低迷から,ようやく復調の兆しを見せ始めています。
明日は,どんな10年だったのかを見せてもらいたいと思っています。

2011年8月11日(木)

「夫婦本」について,考え続け,書き続けていました。
離婚よりも夫婦の修復を強調したいので,「離婚本」と呼ぶのを止め,
「夫婦本」と呼ぶことにしました。
どうしたら幸せになれるのかということを,真剣に考えてみました。
「あなたの幸せが私たちの幸せ。(Your happiness is our happiness.)」
という考えが,事務所のモットーではないかと,再確認しました。

2011年8月10日(水)

昨日は,米国債の格下げをきっかけに,円高と共に,
株価がみるみる下がりましたが,今日は少し持ち直したようです。
経済を適切にコントロールすることは,誰にとっても難しいのでしょうが,
経済の変動がこれほどまでに激しいことは,弱者にとって過酷すぎます。
何とかして,経済をうまくコントロールしていく知恵を,
我々は,身に付けられないものでしょうか。
弱肉強食・適者生存だけでは,十分な答えとは言えません。

2011年8月9日(火)

昔から,多くのことをやりたい(努力したい)と思うタチで,
今は,全てをコントロールできない状況になっている気がします。
自分がどこまでできるのか確かめたい気持ちがあるようです。
チャレンジする前に,簡単に諦めることができない性格のようです。
とは言え,人間に与えられた時間には限度があるので,
優先順位を付けて,一つ一つ対処していくしかありません。
一つの仮説ですが,最近,答えは自分の中にあるはずと思っています。
どこかに探しに行くのではなく,自分の中の答えを探したいのです。
答えが見えてくるのを待ちたいと考えているのです。

2011年8月8日(月)

北海 000 110 000  = 2
明徳 001 010 001×= 3
北海 玉熊−玉木
明徳 尾松−杉原
1回戦は,どちらが勝ってもおかしくない試合でした。
尾松投手の粘り強い投球と修正能力を評価しなければなりませんが,
明徳が,9安打以外に得た4四球&4死球が勝因だったかもしれません。
次の相手習志野は,初戦で,スクイズとホームスチールを決めています。
10年前,01年夏の2回戦でも明徳は習志野に当たり,1対2で敗れました。
主力メンバーが残った翌年に,明徳は全国制覇するわけですが,当時は,
二回試験の勉強中に,どん詰まりのツーラン1発でやられた印象があります。
リベンジを期待したいのですが,PL,横浜,済美,沖縄勢,小倉監督と,
明徳は同じ相手に何度も敗れる傾向があるので,期待はしにくいところです。
厳しい闘いになると思いますが,精一杯のプレーを見せてくれれば良いです。
試合後に,私は40になる準備を始めなければなりません(10年前と同様)。
友人のことがあり,昨日は,サヨナラ勝ちでも,
浮かれている気分ではありませんでした。

2011年8月7日(日)

高校のクラスメートが昨日亡くなり,今夜,お通夜に参列してきました。
6月に彼を励ます会があり,今も1キロ4分で走るという話を聞き,
病んでなお,昔と変わらずに自分に厳しい彼に畏敬の念を持ちました。
4月にも,高校の同級生のK君を亡くしましたが,
ナイスガイから,順番に亡くなっていく印象です。
6月には,同期の弁護士も亡くなりました。
皆,家族を遺して亡くなっていき,どれだけ無念かと胸が痛みます。
生きているうちに,できるだけのことをしたいものです。
彼は何も言うことができず,私は生きていて話せる状況で,
何かを言うのはフェアではないように感じます。
しかし,22年前の運動会で,共に棒倒しを闘った仲間を,
40前に亡くすとは思っておらず,本当に残念です。
S君のご冥福を,心からお祈り申し上げます。

2011年8月6日(土)

昨年に引き続いて上海にいる間,上海のパワーというものを実感しました。
新幹線の事故など,技術的に問題があるかもしれませんし,
貧富の格差が大きすぎるという問題もあるかもしれません。
とは言え,これだけ短期間に急成長を遂げたことは評価しなければなりません。
上海からの帰路で,上海(中国)に敬意を持って,
学ばなければならないと思いました。
我々も頑張らなければなりません。

2011年8月5日(金)

上海で最も活躍している日本の会計事務所と言うべきマイツグループの,
代表のI先生を紹介して頂き,お話を聞くことができました。
亡くされたお嬢様の写真を,携帯の待ち受け画面にされていて,
上海が好きで,休みの度に来てくれていた娘が見守ってくれているから,
現在のグループの上海での発展があるのだろうと仰っていました。
親が愛する子供を亡くすのは何より辛いことですが,
生きていて,忘れずにいる限り,心の中に生き続けるのだと思いました。
娘さんのサポートが常にあるわけですから,成功しないはずがありません。

2011年8月4日(木)

羽田から上海に向かい,虹橋(ホンチャオ)空港に着陸する予定でしたが,
天候が悪いということで,浦東(プートン)空港に着陸することになりました。
日本では考えられない臨機応変(アバウト)さだと思いました。
しかし,プートンから上海への道中で,リニアモーターカーや,
高層ビル等を見ながら,上海がいかに急速に発展したかを目の当たりにしました。
自転車に乗っている人をほとんど見かけず,自動車が多いという印象でした。
ベトナムは,二輪車(バイク)が多いというイメージでしたが。

2011年8月3日(水)

甲子園の組合せが決まり,夏モードになりますが,明徳はまたしても,
北海,習志野,聖光,金沢などの強豪がひしめく厳しいブロックに入りました。
どこが相手でも大変な闘いなので,良い試合を見せて欲しいものです。
なかなか切りにいけなかった髪の毛を,空いた時間に切ってきました。
少し気分を変えて,一歩一歩進んでいこうと思っています。
明日から6日土曜まで,上海出張に行ってきます。

2011年8月2日(火)

これだけやるべきことが多いと,笑ってしまいそうになります。
しかし,挑戦すべき何かをいつも求めていたわけですから,
今,挑むべきことが沢山あるのは,幸せなことです。
わだかまりとか躊躇とかは全くありません。
ただ,全力を尽くそうと思っています。
身体面での不安はないようですので。

2011年8月1日(月)

午前中は歯科に行き,先月植えたインプラントの基礎を確認しました。
午後は,弁護士会の健康診断を受けてきました。
6月には,血液検査をして,CTを撮り,胃カメラもしてもらい,
先月には大腸に内視鏡を入れてもらい,十分検査はしているのですが,
サボっていた健康診断を受ける習慣を付けようという意図からです。
40になると,継続的に受けていく意識が必要だと思います。