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| 雅の祭り(仁尾八朔人形まつり)−仁尾町 |
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讃岐の庄内半島の付け根に、燧灘(ひうちなだ)に面した人口7,000人余りの仁尾という町がある。この町で9月21〜23日にかけ「仁尾八朔人形まつり」が催された。
ムシコ窓に格子戸の家並みが美しい町の商家や醸造蔵あるいは寺院などで、一の谷の戦、曽我兄弟、浦島太郎など歴史上の人物や説話などを題材にしたジオラマが飾られ、大勢の家族連れなどで賑わった。
仁尾八朔人形まつりの由来は、いわゆる子供の節句のまつりであるが、天正年間に長宗我部軍の侵攻により落城した仁尾城主・細川頼弘公の命日が3月3日であったためこの日の慶事を差し控え、、八朔の日(旧暦8月1日)に男子の節句と女子の雛節句をともに祝うようになったとのことである。
一般的に、四国の海岸地帯では節句にジオラマを作る風があったようであるが、仁尾のそれは規模において、また絢爛さにおいて特異である。御殿飾り雛人形などは仁尾独自の特異性が表現された八朔人形の極めつけであろう。仁尾は古くは京都・加茂大社が所領した。都の文化的伝統が受け継がれ、また江戸時代には丸亀藩等から酒、醤油、酢、茶等の商業上の免許を得た財力豊かな商家が多く存在した。このような文化的伝統と財力によって八朔人形は磨かれ、見事なジオラマを作らせたのではないだろうか。この風も久しく途絶えていたようであるが、近年、「仁尾八朔人形まつり」として復活した。
今年はまつりに併せ、仁尾塩田の創業者屋敷(塩田家旧屋敷.)が公開された。4000平方メートル余の邸宅は塩業商家の盛時を彷彿とさせるものがある。また、県下の酢の醸 造蔵の草分けであり、現在も操業中の造酢会社の蔵も公開された。古来の製法が忠実に守られ、発酵タンクは圧倒されるほど巨大な杉樽が用いられて、ほの暗く凛とした空気が蔵に漂っている。
仁尾はまた寺院が多いところである。常徳寺の本堂で曼荼羅の絵解きが行われている。その裏庭で四国のソテツの頂点に立つ雌雄の大株がこの町の永い歴史を物語る。吉祥院の万寿柏(ヒノキ科イブキ)、仁尾城址のホルトノキなどの樹木も同様に、その大樹の影が仁尾の歴史をうつしている。仁尾の海岸は、夏には海水浴客で賑わう。 |
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万寿柏(イブキ)(吉祥院) |

ソテツ(常徳寺) |

曼荼羅絵解き(常徳寺) |

仁尾海岸 |
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