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熊と子どもたち

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うを座とは





pin3 平成10年 (1998年) 4月に、座長鈴木恒子をはじめとする地元気仙沼のスタッフ十数名と、50人を超える地元気仙沼とその周辺の小学校1年生から高校3年生までのキャストで旗揚げしました。
設立の趣旨は
若い世代と大人とが演劇の感動を分かち合い、芸術の深さに触れ、共に人間として成長し、地域の文化を積み重ねる
というもので、その趣旨通りに試行錯誤ながらスタートしました。
zacho2そして5月下旬、座長の「本物を子供達に味合わせたい!」という願い通りに、プロの俳優である壤 晴彦さんが、東京からうを座に指導に来てくださいました。
その壤さんの一言一言に、子供達はもちろんのこと、スタッフ我々の目の輝きも増していきました。
その2日間の練習の最後に踊ったダンスは、子供達の心の喜びが開放された素晴らしいもので(技術ではなく「輝き」ともいうべきものでしょうか)、うを座はこの人と共に歩みたいと心から思いました。
そして壤さんもそれを受け入れてくださり、本格的な演技の練習がスタートしたのです。
現在キャストの子供達20名ほど、地元スタッフ10数名。そしてうを座おやの会、うを座ともの会(支援会)などをはじめとする、地元気仙沼の多くの人に支えられながら、更なる感動の舞台を創るべく毎週末、うを座はがんばっています。


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lamp4 うを座とは
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うを座初のミュージカルは1999年「海のおくりもの」でした。
海なのにネコがたくさん出てきますが、その中でもこのネコの親子の健気さに、みな涙しました。

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but15希望と祈り


── 気仙沼演劇塾うを座のめざすもの ──


pin9設立まで


鈴木恒子はじめ地域で演劇活動を続けてきたメンバーなど9名の呼びかけにより、1998年1月21日 (土) 午後6時30分から、気仙沼中央公民館にて、気仙沼演劇塾うを座の設立準備会が開催された。
今から、ちょうど十年前のこととなる。
きっかけには、当時の市教委生涯学習課の担当者から鈴木座長への相談があった。
「みやぎ県民文化創造の祭典」が、平成11年度は気仙沼市を主会場に開催される、ついては、是非、ここで、演劇(ミュージカルを含む)の公演を持ちたいと。
その相談を受けて、呼び掛け人のメンバーが何度もあつまり、議論を重ねた。
そのなかで、いくつかのポイントが浮かび上がってきた。
ひとつは、地域において演劇活動を続けてきた自分たちだけのメリットとなるような誤解は避けるべきこと。
また、行政の支援は必要であるにしても、市民自らの自発的な活動であるべきこと。
三点目は、他地域においても、近隣では、遠野市、能代市など、市民ミュージカルの先例はあったが、それらとの違い、気仙沼らしい独自性をもつべきこと。
さらには、せっかくの機会であるから、あまり地道な活動などということにとらわれず、大掛かりな、本格的な舞台芸術に挑戦してみるということも可能ではないかと。
そこで、呼び掛け人である大人のメンバーは、基本的に出演者とならず、地域の子どもたちを対象とする活動とすること、指導者には、自分たちのレベルで対応するのでなく、日本の演劇、舞台芸術の分野で一流の方を招くことなどの骨子が固まった。
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pin1 壤 晴彦氏との出会い


うを座は、気仙沼の魚市場に水揚げされる魚であり、同時に、夜空に輝く星座である。
1998年 (平成10年) 4月、「若い世代とおとなと演劇の感動をわかち合い、芸術の深さにふれ、共に人間として成長し、地域の文化をつみ重ねる」ことを目的にかかげ、気仙沼演劇塾うを座を旗揚げした。
塾生は、地域の小学生から高校生までのこどもたち、大人は、座員 (スタッフ) として、活動を支える裏方に回る。

旗揚げのまえ、肝腎の指導者について、自らの演劇活動のかたわら、プロのお芝居を地域に紹介する演劇鑑賞会の活動も続けてきた座長らのネットワークの中で、俳優で演出家の壤 晴彦氏と出会う。
新幹線の一ノ関駅で、鈴木座長と、現在も、うを座の中核を担う、伊東毅浩、高橋和江の三名が、はじめて、壤さんとお会いした。

イギリスの、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの公演に、唯一の日本人キャストとして参加、蜷川幸雄演出作品の常連である壤さんとの出会いは、三人にとって、大きな衝撃であったという。
劇団四季出身、群馬県新田町 (現太田市) の市民ミュージカル新夢 (にいむ) の指導も行っておられた壤氏であるが、見ず知らずの地方の人間の申し出を、なぜか、即決、受け容れていただいた。恐らく、壤さんは、地域おこしだとかというより、演劇、舞台芸術に真摯に向き合おうとする私たちの姿勢を評価してくれたんでしょうと、座長は、語る。
座長らは、一旦、地元のわれわれに相談に持ち帰ったが、そのときのかれらの興奮は、今でも、記憶に鮮やかだ。

東京からの交通費を含む費用の問題もあり、地元の人間で、台本、演出など対応できないかと、再度、検討も行ったところだが、実際にお会いした三人の直観は信ずべき、その熱意は信頼に値するとして、壤 晴彦氏に正式に依頼することと結論づけた。
この決断が、いまのうを座をあらしめるターニングポイントであった。

早速、5月から、応募の子どもたちの指導に当たっていただいた。
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左以下、少し長くなりますが、スタッフ千田 基嗣が書き、雑誌に掲載されたものの転載です。
2008年の公演「宇宙 (そら) の祈り」のパンフレットにも掲載されました。

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pin2 第一回公演まで


その年の12月5日、気仙沼中央公民館ホールにて中間発表会を開催、濱田廣介の童話の朗読劇、歌、ダンスを組み合わせ、二回公演。満席の観客の前で、これまで、地域において見ることのできなかったレベルのパフォーマンスであり、大きな感動を呼び起こした。
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翌平成11年 (1999年) 9月11日〜12日、気仙沼市民会館大ホールにて、「みやぎ県民文化創造の祭典  芸術銀河 '99  みやぎ地域発信劇場 in 気仙沼」として、壤 晴彦作・演出のオリジナル・ミュージカル「海のおくりもの ─ 竜宮伝説 ’36 ─」を上演した。
鎌田真由美さんのダンス、松本好永さんの音楽など、気仙沼のこどもたちと日本ミュージカル界の第一線のメンバーが出会って創り上げられた作品は、地域において、一つの奇蹟であったと言って過言でない。
当時、公演の直前に、地元紙に寄稿した文章がある。「『海のおくりもの』が気仙沼に贈るもの」と題して。若干長くなるが、再録しておきたい。

 

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演劇はドラマであるが、現実世界も負けず劣らずドラマである。
…(中略)…
しかし、いま、この場所に、人間たちを包み込む大きな共感が育まれつつある。地球上の全ての生き物や、存在する全てのものを愛することができるような感覚が育ちはじめている。
閉じてはいけない。開かなくてはいけない。
壤 晴彦さんは、こう書いている。
    君をとりまくなにもかもが

    待っているのさ

    君がこころをひらくのを



この言葉は、ミュージカルのテーマソングとして、俳優たちが観客に向かって歌いかける歌詞であるが、同時に、演出家壤 晴彦が、うを座のこどもたちに向かって投げかけ、また、われわれ地元スタッフに投げかけるメッセージでもある。
八月半ばを過ぎて、公演に向けての練習が大詰めを迎えようとする時期、大幅なキャストの入れ替えを、壤さんは断行した。
…(中略)…
結果、交代したこどもは、みんな、おおらかに明るく、動いている。踊っている。歌っている。

そして、交代のなかった子を含め、あらためてピシリとした緊張感が、全体を覆った。

地域において、こどもたちを集め、本格的なミュージカルを上演する。
…(中略)…
しかし、現状のレベルで、妥協することは、絶対にしない。ぎりぎりの選択の縁に立たされる。

これは、こどもたちの配役の問題のみではない。

練習会場の問題、衣装の問題、大道具制作の問題、などなど、そして、費用の問題、何一つ、気楽に、安易にこなせる問題はなかった。
しかし、さまざまな要素が、今、大きくうねりはじめている。「その日」に向けて、すべてのものが、共に動き始めている。

「海のおくりもの」テーマソング「もしも悲しくなったら」の二番は、次のようなものである。



    もしも恐いと思ったら

    ぐっと胸をはればいい

    ほら  いま  お日さまがわらっただろう

    君の勇気が届いたから

    この世の中のなにもかもが

    知っているのさ

    君がほんとは強いのを



この歌の本当の力を、いま、この紙面では伝えることができない。

9月11日と12日の二日間、市民会館大ホールの三回公演、そこで、気仙沼のこどもたちが、竜宮の玉手箱を開く。その中には、歌と踊りとお芝居と、そして、21世紀を切り開く「希望」が詰まっている。

その現場に立ち会っていただくほかない。 (引用以上)
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pin3 その後の活動


平成12年4月には、気仙沼中央公民館にて試演会として朗読劇、アンデルセン「絵のない絵本」外。同年12月、第二回公演・オリジナル・ミュージカル「夢つむぎの詩」。
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13年8月、再び気仙沼市民会館にて、第三回公演・ミュージカル「海のおくりもの ─ 竜宮伝説 ’36 ─」再演。同年11月、同作品にて、群馬県新田町における国民文化祭ミュージカルフェスティバル参加。
14年8月、市民会館で、第四回公演・中勘助原案のオリジナル・ミュージカル「鳥の物語」。11月、同じく宮城県民会館にて、初めての仙台公演。
15年11月、リアス・アーク美術館(在気仙沼市)「方舟(はこぶね)祭」参加、公開レッスン「リーディング・夢つむぎの詩」。
16年8月、第五回公演、気仙沼市民会館及び仙台市イズミティ21にて、ミュージカル「夢つむぎの詩2004」。
17年11月文化庁の支援を受け、「気仙沼フリンジ舞台発表会  宮沢賢治作品集から」。
18年8月、同じく文化庁支援による市民ミュージカル「森のデュエット」公演に参加、制作全般・出演を担当した。
19年には、大きな公演は行わず、壤 晴彦氏に指導を受け、日本語を通して日本文化を学ぶ「国語塾」などに取り組んだ。

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pin3 今後の取り組み


平成20年には、再び、文化庁「文化芸術による創造のまち」支援事業への採択が決まり、市民会館の千人規模の大ホールでの公演を予定している。
壤 晴彦氏オリジナル作品のタイトルは「宇宙(そら)の祈り」。すでに、うを座塾生のみならず、地域の大人を含めた一般公募の市民によるオーディションも行われ、レッスンが開始されている。
第三回公演のころ、こういうことを書いた。
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ある日のレッスンの光景である。

指導にあたる壤さんの一言一言を、食い入るように見つめる塾生が立っている。

この子は、きっと、まっすぐに素敵な人間に育っていくに違いない。ひょっとすると、演技や歌において、才能を開花するかもしれないが、そうであってもなくても、伸びやかないい大人に成長するに違いないと思わせる。
壤さんや、そのスタッフが、日本の演劇界の第一線で活躍する傑出した指導者であることは言うまでもない。しかも同時に、始めから意図したわけではないはずであるが、気仙沼の子どもたちにとって、望むべくもない傑出した教育者であった。
うを座の活動とは、舞台上のことだけではない。こういう普段の練習の時間を共有できる喜び。そして、この空間を作り、支えているのは、われわれ地元スタッフであるという喜び。

海のおくりもののテーマ曲「もしも、悲しくなったら」で、壤晴彦氏は、
    ねえ、感じるだろう世界にみなぎる素敵な力を
と書いた。私たちはまさに、舞台に、気仙沼に、そして、歌詞のとおり、世界にみなぎる素敵な力を感じている。

私たちは、それを「希望」と呼んでいる。 (引用以上)



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まさに、同様に、この十年間感じ続けてきた。
世界は、私たちの企図の通りには動いてくれない。しかし、企図することなしには、何事も生まれない。世界に向けて祈り、そして希望する。
その「祈り」と「希望」こそが、気仙沼演劇塾うを座である。

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+ うを座スタッフ  千田 基嗣
+ 季刊  音楽文化の創造49  2008summer
財団法人音楽文化創造  掲載
+ 宇宙の祈り  公演パンフレット転載
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