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ゴダールの映画はよくわからない。 考えれば考えるほどわからなくなる。

だけどこんな僕にでも一つだけ言えることがある。
ゴダールの映画はかっこいい。
かっこよさでは飛びぬけている。

たとえば男の子なら
ジャン=ポール・ベルモンドの仕草を真似したくなるし、
女の子ならアンナ・カリーナのファッションに目を奪われる。

言ってることはよくわからない。
けど心地いい。
たぶんゴダールの映画は音楽に近い。
意味は結実しないけど、気持ちはとっても高揚する。

ゴダールはいつも隣にいて、
彼の心にある何かを、僕たちの心に直截投げかける。
それをキャッチしようとする若者たち。
皆ゴダールに追いつこうとして必死なのだ。

彼が時代の最先端を常に走り、
世界中の人間の心を揺さぶり続けてきた理由。
それはゴダールがいちばん遠くにいるようでいて、
その時代と人間のいちばん近くにいた
映画作家だからだと思う。

ウイークエンド 10:40/14:20/18:00 女は女である 12:40/16:20/20:00

ウイークエンド
WEEK-END
(1967年 フランス 104分 MONO)

2009年4月4日から4月10日まで上映
開映時間 10:40 / 14:20 / 18:00

■監督・脚本・脚色・台詞 ジャン=リュック・ゴダール
■撮影 ラウル・クタール
■音楽 アントワーヌ・デュアメル

■出演 ミレイユ・ダルク/ジャン・ヤンヌ/ジョルジュ・スタケ/ジュリエット・ベルト/ダニエル・ポメルール/ジャン=ピエール・レオー/アンヌ・ヴィアゼムスキー/ジャン=ピエール・カルフォン

■オフィシャルサイト http://www.bowjapan.com/feg/weekend/
■パンフレット販売なし

宇宙にさまよった映画 鉄屑からみつかった映画

『ウイークエンド』は68年のフランス五月革命の 一年前に発表された。まさにその爆発寸前の時代の空気を感じさせる、エネルギーに満ち溢れた作品である。

主人公はパリ16区に住むブルジョワ夫婦、 ロランとコリンヌ。 毎週週末には二人で愛車ファセルに乗り、 妻コリンヌの実家がある田舎町ワンヴィルに出かける。

コリンヌの父は死にかけていて、 母と遺産をどう分けるかが二人の関心事だ。 コリンヌはセラピストの愛人がいることをロランに隠し、 ロランは会社に愛人がいることをコリンヌに隠している。 二人とも、遺産が入った後、相手をどう交通事故で死なせるか 企んでいるよう。

コリンヌは愛人のセラピストに、夢とも現実ともつかぬ 乱交の夜の記憶を語る……。

この映画についてゴダールはおもしろいことを言っている。

「私は、妖怪とか妖怪ではないものとかからなる大盛りのサラダを、 ぶあついサンドイッチをつくろうとしたのです……どう言えばいいのか ……私はこの映画では、叫びとか歌とかにより近いところにいるのです」 (撮影用シノプシスの前文より抜粋)

いちばん政治的な季節に現れた妖怪たち(FANTOMES)の映画。 人間という名の妖怪。 そして妖怪が生み出す背徳と錯乱の狂気。 ブルジョワの週末旅行に、 息詰まった社会の人間たちや政治状況を、 比喩的にこれでもかと盛り込んで、 まさにぶあつくおいしいサンドイッチを創りあげてしまう。 映画作家としての骨太なゴダールの才能を、 十分に味わうことができる映画である。

ロートレアモンの ≪マルドロールの歌≫ より”老いたる海よ” をドラムを叩きながら朗誦する解放戦線の隊長。 道端で無残にひっくり返り炎上する数々の高級車。 その端で戸惑う無様な人間たち。 ゴダールの映画には目に焼きつくようなシーンが数々ある。 そしてそれはとてつもなく、かっこいい。

この映画は ≪宇宙に彷徨った映画≫ として、黙示録のように、 ついにはエンドマークで映画の終焉さえも刻印してしまう。 その不敵さには息をのむ。


女は女である
UNE FEMME EST UNE FEMME
(1961年 フランス・イタリア 84分 シネスコ・MONO)

2009年4月4日から4月10日まで上映
開映時間 12:40 / 16:20 / 20:00

■監督・脚本 ジャン=リュック・ゴダール
■原案 ジュヌヴィエーヴ・クリュニ
■撮影 ラウル・クタール
■音楽 ミシェル・ルグラン

■出演 ジャン=クロード・ブリアリ/アンナ・カリーナ/ジャン=ポール・ベルモンド/マリー・デュボワ/ジャンヌ・モロー/カトリーヌ・ドモンジョ

■1961年ベルリン国際映画祭銀熊賞・女優賞(アンナ・カリーナ)

■ポスター販売あり(1,000円)★数量限定入荷

女は女である。そして映画は映画である。

「女はやはり女であることを証明しながら、 映画はやはり映画であることを証明するということ、 これは素晴らしく心をそそる試みでした」 (映画『女は女である』のレコードの中のゴダールのコメントより)

ゴダールはこの映画の中で、愛する二つのもの 「女」と「映画」について迫っている。 もちろん主演は60年代ゴダール映画のミューズ アンナ・カリーナである。

彼女とゴダールはこの映画の撮影終了後に結婚している。 その時ゴダール30歳、カリーナ20歳。 ゴダールのカリーナに対する愛のまなざしが、 この映画を最も幸福な映画に仕上げた。

女は女である『女は女である』は1933年のエルンスト・ルビッチ監督の 艶笑喜劇『生活の設計』のゴダール版リメイクであり、 行き過ぎた三角関係をモチーフとしている。

「赤ちゃんがほしい、すぐにもつくってほしい、 二十四時間以内につくってくれなきゃいや」 と駄々をこねて同棲中の未来の夫(ジャン=クロード・ブリアリ) に可愛らしく迫る女。

男は彼女をとても愛していて、経済的に余裕ができたら 結婚して二年後ぐらいには子供をつくってもいいと思っている。

女はそれを我慢できない。

あなたがだめなら、他の誰の子でもいいと言う。 男も意地になって、やれるならやってみろと虚勢を張る。  そして親友の妻に恋する男(ジャン=ポール・ベルモンド) が現れて……。

本当の意味ではこれが私の処女作なのです。ジャン=リュック・ゴダール

ゴダールは映画について

「映画の発明は、あるばかでかい誤り、人間の映像を記録し、 再生産しながら、それをこの世の終わりまで映写し続けようとする という誤りの上に成り立っています」
「誤リヲオカスハ映画ノ性ナリ」

(映画『女は女である』のレコードの中のゴダールのコメントより) と語っている。

女は女である「映画は映画である」という 映画の自己言及にミュージカル映画を選んだのは、 その魅力的な誤りを引き出すのに最も相応しいと考えたからだろう。 そういう目のつけどころの鋭さに、やはり彼の才能を感じてしまう。

従来の映画を引用しつつ、またそれを否定する。 それ同様に私たちを受け入れつつ、また突き放すという ゴダール型愛情の分かりにくさ。 そこには創造者としての厳しい姿がある。 だけど感じるしかない、愛なんてものは。

(おじゃるまる)