日山に戻る             日山(天王山)の由来
 この日山(天王山)(1057.6m)は阿武隈山系の大滝根山に次ぐ高峰で、東に太平洋を眺め、西に蔵王、吾妻、磐梯安達太良の山々をのぞみ、南西になすの山なみが遠望できる。
 坂上田村麿東征の折、当日山頂上に社を築き蝦夷征服祈願をなしたと伝えられる。
源義家がこの社にて東征祈願して檜壱千本を奉納植樹した。それから「檜山」と称した。康平5年(1062)尾張津島神社(天王社)より牛頭天王を分霊して頂上銭櫃石の側に勧請安置し、戦勝と民生安定、災厄と疫病病を除去、田の生産、水の順調の守護神として信仰を集めた。
 石橋氏が四本松城主となり社を再建し、延徳2年(1490)大内備前眞守宗政宮室を建立した。のちに百目木城主石川弾正が葺替え、社を保守した。その後蒲生氏郷社地を整備し、さらに田沢地内に供米の神田(しんでん)をつくった。
 慶安2年(1649)6月の大洪水に二本松藩主丹羽光重は家臣成田弥左衛門を派遣し、社で日祭の大祈祷をした。以後「檜山」を「日山」と改め、丹羽家の祈祷所とし、田沢村と茂原の名主が交替で祭事を執行した。
 明治2年(1869)、山は旭岳に、神仏判然令によって田沢、茂原の社は旭神社に、葛尾の社は日山神社とし、祭神は建速須佐之男命を祀ることになった。
のち再び日山(天王山)と称することになり、昭和56年(1981)阿武隈高原中部県立自然公園に編入指定され、「日山のつつじ」は福島民報社、福島県緑化推進委員会による「ふくしま緑の百景」に選定された。
 平成2年(1990)正月、田沢旭神社は「日山神社」と改称され、同年5月社前に石の鳥居が奉納建立された。
 毎年6月の春祭には岩代町、葛尾村、船引町、浪江町、川俣町および都路村主催による山開きが盛大に行われる。
 10月の秋祭には、田沢、茂原、葛尾から三匹獅子舞が奉納される。川俣田代からは8年毎に奉納される。
                   田沢日山(天王山)由来碑建立協賛会

山頂の日山由来碑